夏至 気づきと感謝と手放しを。 | やましたひでこオフィシャルブログ「断捨離®」Powered by Ameba

夏至 気づきと感謝と手放しを。

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夏至祭

 

 夏至にお祭りがあるとは、夏至を祝う風習があるとは、私たち日本人にはあまり馴染みがないもの。欧州、なかでも北欧諸国は、この夏至の日を賑やかに祝う。そのいわれを紐解くのは私の係りではないので専門家に任せるとして、多くは、男女の出会いや睦みを願うことが盛んにおこなわれる日であるようです。

 

 ところで、日本にも夏至祭があるのですね。三重、伊勢にある二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)。ここでは、北欧の賑やかなそれとは違い、厳かな禊の行事。夏至の日、ちょうど夫婦岩の間からのぼる朝陽のエネルギーを浴びて身を清めるのです。

 

 二十四節気のひとつ、夏至。そうですね、二十四節気をすべて知らなくても、夏至には親しみがある。一年でもっとも日が長く夜が短い日。まるで、活動のエネルギーが頂点に達するのかのように、早朝から夜更けに近づいてもまだ明るい日に身体や心が反応することは確かですね。

 

 さて、なぜ今回の夏至について、あれこれを慮ったかというと、この日を「断捨離の日」に決めたから。

 

 夏至=断捨離

 断捨離=夏至

 

 そんな連想が定着し、意識して断捨離を実践することができることを祝い願ってのこと。まあ、断捨離の提唱者としての一人勝手の思いと言われてしまえばそれまでだけれど、かつて私だけのものだった生活哲学「断捨離」は、もはや私の手を離れて日本のみならず世界を旅しているのが現状。

 

 ならば、この日を、私たちの身の周りに溢れるモノたちがどんなエネルギーを放ち、そして影響を及ぼしているか、改めて自分に問いかける日にするのも価値あることと思ってのこと。

 

 夏至とは、太陽のエネルギーが溢れるばかりに降り注ぐ日。暗く長い日照不足の日々を過ごしてきた北欧の人々がこの太陽の恵みに喜びを弾けさせるのも自然な営み。一方、この高いエネルギーでもって、心身の浄化をはかろうとす祭り事が二見ヶ浦という禊浜(みそぎはま)で営まれるのも頷ける。

 

 不足をいかにして埋めるかに終始腐心してきた私たちが、溢れるモノを享受できた時の喜びはひとしおのはず。だからこそ、それを祝い感謝してしかるべき。けれど、それが過剰へと反転したとき、私たちは別の不幸を味わうことになる。モノにまみれ、モノに埋もれ、モノにエネルギーを奪われてしまうことが実際起きているのが現実だから。そう、過剰に照りつける太陽の下での疲弊が半端ではないように。

 

 夏至が過ぎれば、冬至へと向かって日の光もまた徐々に減じていく。

 

 私の周りの自然も、私たちの社会も、私たちの生活も、不足と過剰を交互に繰り返しながら変化を重ねていくもの。さらに言えば、私たちの心の中も、不足と充足を往復するもの。

 

 夏至の日、断捨離の日

 

 生活の不足を埋めてくれた諸々、それらモノたちが果たしてくれたはずの役割に改めて気づきを深め、感謝を捧げる。

 ともすると過剰となりすぎる諸々を意識して、それらを減らし手放していくスタートを切る。

 

 この「気づき」と「感謝」と「手放し」を、一年の太陽のリズムに則って実践できるのならば、それこそが、過剰を憂い、過剰が引き起こす問題解決をはかる断捨離の醍醐味、その真骨頂を発揮するというものです。