家庭内ATM / 家庭内援助交際 / 家庭内サラ金
それぞれの夫と妻のあり方。
先日、懇意にしている女性経営者と話し込んだ。彼女と私は、お互いの仕事を離れてプライベートな話で盛り上がることが度々。いわゆる密室トーク。女同士という安堵感も手伝って、あけすけな内容が展開するという訳。
殿方が混じると、やはり憚ることがある。少しばかり遠慮して避けなくてはならない話題があるのは致し方なく。それはそれでお互い様、男性諸氏にとっても、女性が混じると不都合な話題があるに違いないのだから。
特に昨今、男性陣は要注意。気が緩んだ言葉を出したばかりに、社会的な生命を大きく損なうことが起きてしまうことがある。パワハラだ、モラハラだ、セクハラだと、指摘されれば言い訳の余地はなく、許されない行為をしたとして、それを認めなくてはならないご時世。
もしかして、彼女と私の会話だって、聞く人によってはずいぶんと失礼な話に映るかもしれないし、実際、二人で大笑いしている場面を誰かに目撃されたとしたら、そこでいたたまれない気持ちになる自分たちを容易に想像できるというもの。
けれど、こういった、時々あけすけなトークをする機会は、誰にとっても必要。聖人君子でもなく清廉潔白を貫いているわけでもない生身の人間であるならば、ガス抜きこそあってしかるべき。もしも、このガスを抑え込み溜め込んでしまえば、やがてそれが心身の不調につながることもあるだろうし、また、一気に爆発なんて、それこそ自分も周囲の生活も木っ端微塵になることだって起こりうる。そうだ、ニュースを賑わす諸々の不祥事だって、もともとはそんな小さな鬱積が溜まりに溜まった挙句の噴出なのかもしれないのだから。
要は、場所と時間と人間をわきまえるセンスが問われること。この時、この場で、この人と、こんな話題が適切なのか、不適切なのか。社会的な地位が高ければ高いほど、そこへの思慮不足が致命傷となることに気づいておかなくてはいけない。
さてさて、相変わらず前置きが長くなり恐縮ではあるけれど、この前書きも含めて、私の申し上げたいこととご理解いただければ幸いにて。
では、冒頭の女性経営者との話、そのごく一部を披露させていただこうか。
彼女は、夫のことを二人の娘にこう言ってのけたのだとか。
「ATM」
つまり、現金自動預け払い機。ただし、預けるのは夫だけで、引き出すのは妻と娘二人に限られている。
この言葉を受けた二人の娘(中学生と小学校高学年)の反応が、これまたキュートだと言うべき、それ。
「ママ、このATM、向こうから歩いて来るね!」
「それに、暗証番号もいらないね!」
必要な時に向こうから歩いて来てくれるATM、暗証番号も不要なATM。おお、なんてコンビニエンス。
ところで、この話を傍らで聞いていた夫が、何とのたまったかというと。
「パパは援助交際しているようなものなんだな」
そして、さらに付け加えてこう言ったのだそう。
「援助交際なんてものは、たいてい可愛くて素直な女の子にするもんだけどな。パパの場合は、お前たちのようなちっとも言うこと聞かない女三人か…」
いやはや、なんて面白い夫婦だろう。なんて愉快な家族だろう。こんな会話が日常の生活シーンで、何のてらいもなく飛び交うなんて。
そう、彼女が常々、二人の娘に「こんな有難いATMはないよね。パパが稼いで入れてくれるから便利に使える。稼ぐことって簡単ではなく、とても大変なんだから」と話していることも、また確か。
翻ってみると、夫を「ただのATM」扱いしている妻も周りに大勢いる。そして、そんな妻に限って夫の愚痴を平気で垂れ流すというのもよくあるパターン。
もちろん、同時に妻を「家庭内サラ金」にしている夫もたくさん。まあ、どちらかと言えば、そんな夫を持った妻からの相談を承ることの方が、まだまだ多いのではあるけれど。