思い出すために、忘れないために。
おはようございます。
断捨離のやましたひでこです。
東京のこの街だって、もしかして。
決して、忘れてはならない…
そう自分で思っていても、
そう人から言われても、
結局、人の辛い出来事ならば、
私たちは忘れる。
いいかげん、忘れよう…
そう自分で思ったとしても、
そう人から言われたとしても、
やはり、自分の辛い出来事であれば、
私たちは思い出す。
そうだよね、それが、あの日、被災した人びとと、私、被災していない者との違い。
3/11あの震災当時に書いた私自身のブログ、
読み返してみる。
震災から5日後のブログを。
思い出すために。
忘れないために。
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「そして、してはならないこと」
東日本大震災。
被災された方々へのお見舞いも、
犠牲になられた方々へのお悔やみも、
どんなに言葉をつくしても、
どれだけ言葉を重ねても胸が痛い。
今日、仙台のゆきちゃんと電話連絡がついた。
なんと、このセミナー主催者さんは「ごきげんさまです」と挨拶してくれた。
涙がでた。
頭が下がった。
無事という安否確認はすぐにできていたけれど、それ以後、ずっと連絡がとれず、難渋な避難生活を強いられているに違いないと、ずっと案じていた。
今日、幸いにも電気が回復し、残っているプロパンガスと備蓄の水でしのいでいるという。
ゆきちゃんは、逞しい。
私は、巨大地震の報を、バンコクの国際空港で知った。ちょうど発生から2時間後のこと。
羽田に向かう航空機に乗り込む直前、テレビに映し出される仙台空港の映像に目を疑う。
飛行機には乗り込んだものの、結局、離陸の許可が下りず、バンコクに24時間の足止め。
この日、東京での何十万という帰宅難民者と同様の経験をする。
けれど、たいしたことではない、寒さも空腹もなかったから。
そして、思う。今、安全に過ごせているわが身が、この未曾有の大災害に対して、いったい何ができるかと。
まずは、自分の出来る事と、出来ない事の見極め。そして、それ以上に重要なのが、自分に出来る支援が、どれだけ、今、有効に機能するのかの見極め。
善意であるはずの支援が、かえって現場での負担と混乱を招くならば、それは、思慮不足に他ならない。
避難所のモノ不足のニュースを見聞きすれば、なんとかして物資を、と思うのは当たり前のことだろう。けれど、避難所のモノ不足は、輸送のルート・手段・人員の確保が困難を極めているから。
モノはあるけれど、運べないのだ、届けられないのだ。細い水路に大量な水を流せば、かえって、滞りという混乱を招く。自分の物資と労力の支援の、時と場と対象者を、見誤らないように。
そして、さらに思う。
今、安全に暮らしている私たちが、決してしてはならないこと。買いだめと不確かな情報の垂れ流し。
普段どおりの生活をしている私たちがするべきことは、不足の受け入れ。電気もガソリンも食料も、それらの不足を、潔く軽やかに受け入れる。不確かな情報を、無自覚に受け入れ、無自覚にチェーンメールに載せるような、発信者には、決してなってはならない。
それが、ダンシャリアンというもの。
私たちができることは、我慢ではなく辛抱。自分の創意工夫ある辛抱が、多くの被災者さんへの支援に繋がる。
そして、不安から生じているであろう批判や非難。これも、けっして、してはならないこと。
今まさに、被災地で、原発現場で、それこそ命懸けで職務についている東電、自衛官、警察、消防、自治体、医師、看護師の方々。
皆様方の必死で不眠不休の懸命なご努力に、ただただ、敬意と感謝を捧げます。
どうか、ご無事であることを祈ります。
<2011/03/16 やましたひでこ>