家事を煩雑にする負の連鎖。消耗と疲弊の女性たち | やましたひでこオフィシャルブログ「断捨離®」Powered by Ameba

家事を煩雑にする負の連鎖。消耗と疲弊の女性たち

yahoo!ニュース Japan やましたひでこ

https://news.yahoo.co.jp/byline/yamashitahideko/20180303-00082285/

 

 

 先日、200名近くの女性たちと「家事」について考える機会があった。年齢も職業も問わず、未婚既婚も問わず、主婦歴も問わず、女性であれば、いえ、もちろん男性にとっても、家事とは生活の基盤をなすもの。ここが危うければ、生活どころか仕事も人生にも多くの支障をきたすことは明らか。その中でも、とりわけ、「片づけ」問題は大きな課題となって立ちはだかっている。なぜなら、家とは、住まいとは、住空間とは、私たちの生命を育む、まさに現場そのものなのだから。

 

 ところで、家事について、こんな二つのメッセージがいつも交錯してついて回るもの。

 

 丁寧に、きちんと、ちゃんと。

 効率良く、合理的に、効果的に。

 

 そして、多くの女性がこのダブルメッセージに苛まれている。これ以上どうやって丁寧に家事と向き合えばいいのだろう。仕事もいっぱいいっぱい、家事もいっぱいいっぱい、時間的にも体力的にも限界だと悲鳴をあげているくらいなのに、と。

 

 かといって、効率を優先すれば、どうしても「手抜き」感が否めない。妻として、母親として、主婦として、家事に手を抜いている姿を自分に見出すことほど、女性にとって後ろめたく辛いものはない。

 

 「丁寧に」かつ「効率良く」という背反する課題に、どれだけの女性が果敢に取り組んでいける環境にあるのだろう。このせめぎ合いから、私たち女性は、どうやって、抜け出していったらいいのだろう。そう、多くの女性たちが置かれている環境を考えることなく、一歩的なメッセージを投げつけることほど罪作りで無責任なことはなく。

 

 ならば、いったい女性たちが、私も含めて自分自身がこの家事をどのように捉えているのか、まずは知っておく必要がある。

 もちろん、家事がとても大切なものだとはわかっている、「でも…」「けれど…」という部分、要するに、本音はどこにあるのかということだ。

 

 まずもって、愉しくて、やりがいがあって、面白いと感じている女性は圧倒的に超少数。実際、残念なことに、私は今まで、そんな女性にお目にかかったことはない。大方は、面倒で、大変で、仕方なく、という気持ちを抱きながら義務感で、あるいは、それらを感じる余裕もないほど必死にこなしている、という場合さえある。そう、私の元に相談にやってくる女性たちは見事なまでにこのありさま。

 

 義務

 必死

 

 この二つが本音であるならば、多くの女性たちは消耗と疲弊の中にあると言わざるを得ない。

 

 モノと雑居しながら孤立した時間を台所で過ごす女性たち。

 モノが雑然とあるなか手間を取られながら居間に掃除機をかける女性たち。

 

 モノとの「雑居」、モノの「雑然」が、まるで家事を「雑役」のごとくに貶めている有様。それは、何も片づけに限ったことではなく、全ての家事をさらに煩雑なそれにする負の連鎖。そして、その中で喘いでいる女性たち。

 

 これが、私が見てきた多くの女性たちの姿だ。家族との空間を分断され、家族のために自分の時間も分断される家事。義務感どころか使役、つまり、主婦である自分だけが「やらされている」と被害者意識を募らせる家事。しかも、家事は主婦がして当たり前、結果も出来て当たり前の「ゼロ評価」。料理も洗濯も片づけも、家族から絶賛と賞賛を受けることなどなく、酷評だけが飛んでくる。

 

 家事とは不遇、家事を担う女性も不遇。そう、こんな現実が、まだまだ蔓延しているのだ。

 

 だからこそ思う。そこからの脱出の一歩は、自分を煩わしている余計で邪魔なモノたちを、いかに住空間から取り除いていくことから始まると。それが、家事の煩雑行動の断捨離、そして、煩雑と感じる自分の心の断捨離に繋がるのだと。

 

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