饒舌と無口 語るモノと語らないモノがある。
おはようございます。
断捨離のやましたひでこです。
原稿を詰まらせた、昨日の私…
書きたいこと。
書くべきこと。
いっぱいあるはずなのに詰まって出てこない。
おそらく、疲れていたのかも知れないね。
まあ、オーバーワークの自覚はまったくないのだけれど。
こんな時は気分転換。
まあ、寝るのが一番の薬なのだろうけれど、
昨夜は有り難いことに、兼ねてからの愉しみな句会の日。
全く俳句の素養に自信などなく、
けれど、大好きな友人の元編集者さんに誘われて。
ああでもない、こうでもないと、季語と戯れる面白さ。
にわか俳人もどきとなって、そう、俳人を気取る愉しみ愉しさ。
それに目ざめてしまいましたね、ちょうど、一年前からね。
さてさて、そこで、師匠先生が、こんなことを教えて下さる。
季語には重さがある。
30gの軽い季語、つまり、無口の季語と、
80gの重たい季語、つまり、饒舌な季語と、
それを見極めて、五七五の言葉選び、バランスを意識するように。
全部で、100gになることを考えて。
それが、師匠先生のレクチャー。
なるほどね。
そうか、季語にも性質があるのだ。
語る季語、それは、その季語一つで強いメッセージ力がある。
語らない季語、それは、控えめな季語だからサポートが必要。
語る季語は、伝統的な季語でもあり、
語らない季語は、生活季語かな。
時候天文から拾う季語、例えば、「二百十日」という季語と、
食物から拾う季語、例えば、「無花果」という季語では、
インパクトが違うのも当然と言えば当然か。
師匠先生は、また、こうも言う。
俳句とは、身辺、日常の文芸。
だから、季語とは、節度ある距離感を持ってお付き合いすること。
そうですね、私にすれば、これらは、全部、断捨離に通ずるお話。
自分の限られた生活空間にて、
饒舌なモノたちを取り入れすぎたら、どうなるか。
無口なモノたちをないがしろにしたら、どうなるか。
モノとは、それぞれの付き合い方があるし、
モノとは、空間とのバランスを図ってこそ。
ですよね。
さてさて、句会のおかげか、
原稿の方は夜明け前に書き上げて、今朝の朝陽とも御目文字叶う。
ああ、今日のひでこさん、あなたの一日は、どんなかな。
はい、あなた様こそ、どうぞ、ごきげんにさまにて。
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