そんな声が、私にははっきりと聞こえてくる。
おはようございます。
断捨離のやましたひでこです。
タイ北部の旧都チェンマイ。
郊外の田園地帯にある小さな家族的なリトリートに滞在中。
3ヶ月前に訪れた時に見た小さな稲たちの姿はすでになく、今はもう刈り取られた後の株が残るだけ。
時間の流れ方は気候風土によってこんなにも違う。
そうか、でも、草木たちの時間は早いけれど、ここでの生活時間の流れはどこまでもゆっくり。
時間の流れ方は、生活空間の有様によってとても違うのだと、あらためて思う機会でもありますね。
そして、空間を満たす「音」も違うことに気づく。
朝早く、暗いうちから聞こえてくるカエルたちの鳴き声。どれだけの種類と数がいるのかしら。それに鳥たちにさえずりも加わってくる。やがて、陽が顔を出すにつれて、家畜たち、おなじみの鶏の「コケコッコー」と牛の長閑な「モウ〜」。
そして、朝食の支度に入るホストファミリーのキッチンの音、村人たちの仕事に出かける話し声へと変わっていく。
今、私が過ごす小さなコテージ空間は、時間の経過につれて、こんな「音」たちが流れ込み、満たされているのです。
これら音たちは、喧しい<やかましい>けれど、とくにカエルの鳴き声、決して煩く<するさく>はないと表現したら可笑しいだろうか。
なぜなら、この声の主<あるじ>たちにの「息づかい」だから。
なぜなら、そこに「いのちの営み」が感じられるから。
ところで、私は、これまで、多くの家々の有様を目してきた。そして、目にすると同時に、その住空間を満たす「音」まで聞いてきたのです。
その音、残念なことに、住人にはまたく聞こえてはいないよう。
使われことなく放置されたモノの無念の呻き声。
乱雑に扱われているモノたちの憤りの叫び声。
どうでもいいモノたちが繰り返すしょうもないお喋り声。
窮屈に押し込まれたモノたちの助けを求める悲鳴。
そんな声が、私にははっきりと聞こえてくる。
そんな住空間を満たす「声なき声」の「音なき音」は、喧しいことはないけれど、酷く煩い音として、私の身体全体に飛び込んでくるのです。
やりきれない煩さ。
痛々しい煩さ。
そんな物悲しい騒音の中にいる多くの人たち。
そんな騒音に気づかないでいる多くの人たち。
もしも、あなたが、そんな騒音の中で日々の生活を営んでいるとしたら、その現状があなたにどんな身体と心にどんな影響を与えるかは、言うまでもないですね。
さあて、今日のあなたも、一つでも余計なモノを断捨離して、空間の音の心地良さを味わって下さいね。
それでは、ごきげんさまにて。
やましたひでこ
<断捨離メールマガジン 20170608号>
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