現状と心理と行動と。 | やましたひでこオフィシャルブログ「断捨離®」Powered by Ameba

現状と心理と行動と。

おはようございます。

断捨離のやましたひでこです。

 

 

 

雨に煙る朝…

 

 

おかしなことに。

不思議なことに。

奇妙なことに。

 

 

 クライアントさんや受講生さんたちのこんな言葉に、ずっとお付き合いしてきた。いえ、過去だけの話ではなく、現在もお付き合いしている。

 

「片づけられない

 

 おかしなことに、ほとんどの人が「片づかない」とは言わない。

 

 実際、「片づけない」から「片づかない」のであって、「片づければ片づく」はず。だから「片づけられない」とは、「片づけていない」の意味だと解釈するのが妥当。つまり、片づける行動をとれば、その分だけ、片づいた状態を手にすることができる。

 

 とはいえ、そう簡単に思うように物事は運んではくれない。実際、片づけても、片づけても、片づかないからこそ、結果「片づけられない」と口にするようになってしまったのだ。

 

 要するに、手に余る大量のモノたちが家中にひしめいているから、家はいくら片づけたとしても片づかないだけのこと。ならば、これからは「片づけられない」と言って自分を責めるような真似はやめて、余計なモノを捨てていけばいい。

 

 

 ところが、私はこんな言葉ともずっとお付き合いしてきた。これも済んだ過去の話ではなく、今もってお付き合いし続けている言葉。

 

「捨てられない」

 

 不思議なことに、ほとんどの人が「捨てたくない」とは言わない。誰かに「捨てろ」と指示されているわけでもないのに、「捨てられない」と言う。

 

 実際、自分が「捨てたい」と思うならば捨てればいいし、「捨てたくない」と思うならば捨てなければいいはず。だから、「捨てられない」とは「捨てたくない」という気持ちの婉曲表現と解釈したほうが妥当。つまり、「捨てる自由」も「捨てない自由」も自分自身にあることを知らずに、無用な遠慮をしているようなもの。

 

 とはいえ、それも無理もないこと。実際、私たちは心の中でいつもせめぎ合っている。「捨てようとしている自分」と「捨てたくない自分」が、反目しながら同居しているのだから。

 

 要するに「捨てられない」とは、「捨てたくない」勢力が心の中にはびこって優勢になっている証拠の言葉。

 

 

 そして、もうひとつ。私はこの言葉にもずっとお付き合いしている。

 

「どこから手をつけていいかわからない」

 

 奇妙なことに、ほとんどの人が「ここから手をつけます」とは言わない。

 

 実際、目の前の空間を片づけたいと思い、目の前のモノを捨てたいと思っているならば、目の前から手をつけて始めればいいだけのこと。せっせと身体を動かして、いつだって、どこだって、どんなモノだっていい、とにかく自分が「不要」と判断したものを取り除いていけばいい。だから、どこから「手をつけていいかわからない」というのは、自分の思考を放棄している言葉と解釈するのが妥当。

 

 とはいえ、これを「思考停止」と単純に切り捨てるわけにはいかない。長い間、手に余るモノたち、手に負えないモノたちに晒されていれば、そんなモノがいっぱいの空間に身を置いていれば、誰だって思考は止まってしまう。

 

 要するに、「どこから手をつけていいかわからない」とは、身の周りの有様、つまり、住環境汚染の負の作用、負の症状。

 

片づけられない。

捨てられない。

どこから手をつけていいかわからない。

 

 これは、私たちの日常生活での三大主訴。いわば生活上の三つの大きな苦痛。だとしたら、この苦痛は速やかに取り除かなくてはならない。

 

片づかない現状

捨てたくない心理

手はじめの行動

 

 現状(=症状)をよくよく見極めて、心理を明らかにし、思考を回復させ、行動を促していく。そんな「断捨離」という、いわば「外科的手術」を必要としている人たちが、増えはしても決して少なくなってはいない。

 

 だからこそ、モノや情報の過剰が招く「禍」=「病」を予防していくためにも、断捨離の習慣化は不可欠なのです。

 

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