そんな見極めもなく、断捨離の理屈を語る輩さんには、私はとても腹が立つ。 | やましたひでこオフィシャルブログ「断捨離®」Powered by Ameba

そんな見極めもなく、断捨離の理屈を語る輩さんには、私はとても腹が立つ。

おはようございます。

断捨離のやましたひでこです。

 

 

 

 

今朝は曇り空。

 

やわらかな朝の光が瓦に遊ぶ。

 

 

 

 

お天気は回復基調のよう。

 

私の体調も回復かな。

 

 

 

 

 

断捨離とはモノとの格闘。

 

モノと格闘するなんて、まったく馬鹿げた話だけど、私たちは、何であれ、多すぎればそれに振り回され煩わされることになる。

 

 

 

 

断捨離とは「過剰」との格闘。

 

過剰なモノ

過剰な情報

過剰な人間系

 

それらとの格闘。

 

 

格闘だからね、それはもう、無我夢中で取り組むしかない。

 

いちいち、御託を並べている暇はない。

あれこれ、言い訳を考えている場合ではない。

とにかく、「過剰の害」から脱出していくしかない。

 

さもないと、私たちは、それら過剰に埋まり潰されることになる。

 

 

 

ところが、一方で、断捨離は自分自身の探訪であることはたしか。

 

モノを介在させて自分を振り返る行

モノを通して自分を見つめ直す行

 

だから、断捨離は「内観」

だから、断捨離は「動禅」

 

 

けれど、ここで勘違いしてはいけない。

これど、ここで格好をつけてはいけない。

 

 

自分が、「内観」だの「動禅」だの、そんな悠長なことを言ってられる場合かどうか、そんな立場かどうか。

 

 

目の前に迫る雪崩れを前して座禅を組む人はいないだろう。とにかく、一刻もその雪崩れ現場から逃げ出すはず。

 

そう、一目散に。

 

 

だから、そんな見極めもなく、断捨離の理屈を語る輩さんには、私はとても腹が立つ。

 

けれど、どういう訳か、モノを溜め込んでにっちもさっちも行かなくなっている人に限って、ああだこうだと「理論」を並べたがる。

 

おかしいよ、それ。

 

 

断捨離に「理論」はいらない。

断捨離は「実践」あるのみ。

 

 

 

あらら、今朝のひでこさん、ずいぶんと雄叫んでいるね<笑>

 

そうか、元気が出てきた証拠か!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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