「セックスレス」問題 VS 断捨離「片づけ」問題
おはようございます。
断捨離のやましたひでこです。
「セックレス」問題と「片づけ」問題
さて、その共通点は?
先日の夏目祭子さんの講演会を受けて、こんな記事をyahoo!ニュースに書いてみましたが。
いかがでしょう?
◇◇◇
疲労
蔑視
苦痛
冒頭から、それこそ意気消沈するような言葉を三つ並べたのには訳がある。
先日、性の問題を専門とするカウンセラー夏目祭子氏の講座を受けた時のこと。実は、夏目氏と私は個人的な親交も深い、盟友と言ってもいい仲。お互い、いつのまにか既成概念を「打ちこわす」のがなりわいとなってしまったという共通項がある。
講座の冒頭で、夏目氏は受講生にこう語った。今、なにかと話題の夫婦の「セックスレス」には、私たちが陥っているセックスについての「思い込み」が大きく影響していると。
「疲労」、たしかに、夫も妻も日中の仕事で疲れている。だとしたら、それ以上疲れるようなことは回避したくなるのは当然のこと。「蔑視」、たしかに、夫婦の情はあるにせよ、妊娠を目的としない性の営みを夫婦間でする気分にはなれない。「苦痛」、たしかに、一方的な行為で、肉体的精神的な苦痛が伴い快感を得る余地などない。
夏目氏の元を訪れる多くのクライアントの主訴は上記3点につきる。そして、こうなってしまった原因は、私たちがセックスに対して間違った刷り込みを受けているからに他ならないというのが、夏目氏の追求するテーマ。
セックスの方法が間違っている。
セックスのイメージが歪められている。
つまり、本来セックスは疲労回復、充足、快感をもたらすものであるにもかかわらず、方法とイメージの大きな乖離によって、それが面倒で厄介で暴力的なものに成り果ててしまったのだと、夏目氏は訴えている。
さて、私はこの分野の専門家ではない。だから、性に関する諸問題については、夏目氏をはじめとする卓越した専門家諸氏にその解決を委ねるとして。
私が危惧するのは、私たちが、性の問題に限らず受けてきた多くの「間違った方法」「間違ったイメージ」の刷り込みであり、なにより、それら二つの刷り込み自体に気がついていないこと。因みに、「整理整頓収納」、つまり「片づけ」も、その一つだと私は考えている。
間違った学習の結果の機能不全、つまり、疲労の蓄積。
間違ったイメージの結果の機能不全、つまり、蔑視の蓄積。
疲労と蔑視の蓄積の結果の機能不全、つまり、無自覚無意識。
これらは結局のところ、私たちの人間関係に、程度の差こそあれ嫌悪感を生じさせていき、また増大させていくだけのこと。なかでも、性の問題と結婚制度という法的な拘束を伴う「妻と夫の人間関係」は、時として、根深い憎悪にまで発展していく。
ところで、ここまで書いて私は、こんなケースを思い出した。
私に相談を持ちかけてきた、ある夫は「僕は子どもがとても欲しいのに、妻はまったく、それに応じてくれないのです」と訴えた。
それはそうだろう。私に言わせれば、こんな家の有様で、リビングもベッドルームもメチャクチャに散らかった有様で、どうやって愛情を育めというのだろう。
私は、この夫の感性の方を疑った。モノも空間もまったく慈しまれていない空間、それどころか、ネグレクトともいうべき虐待が蔓延しているかのようにモノが放置されている住空間で、どうやって赤ちゃんを迎え入れようとするのだろう。
この夫は気がついてはいない。この荒んだ住まいの状態は、もちろん、夫と妻、双方のモノの溜め込み癖、不始末の結果ではあるけれど、妻が明らかに夫を憎悪している証拠でもあることに。なぜなら、私たちは誰しも、憎しみの対象をケアしたいなどとは思わないのだから。
そう、問題は、子づくりに励む以前、夫婦の関係はもうとっくに破綻しているにもかかわらず、そこから目を背けていることにある。夫婦でセックスをすれば、子どもさえできればなんとかなると考えている現状認識の甘さにあるのです。
案の定、この夫と妻は、マスコミの片隅を多少賑わすような騒動を起こして離婚という結果となった。
残念と言うしかない。それは、離婚という結果が残念という意味ではもちろんなく、モノも空間も人も、それらを「慈しむ術(すべ)」を、まったく知らずにきたという事実を指すのは、言うまでもありません。
やましたひでこ<yahoo!ニュース JAPAN>