行き詰まった時。 新たな出発が必要になった時。
ごきげんさまです。
断捨離のやましたひでこです。
厚い雲に覆われて。
真冬のような寒さ、桜も開花日を間違ってしまったのかしらね。
我が根城のマンションには、
取材チームが入れ替わり立ち代わりにやってくる。
書籍
雑誌
テレビ
Web
etc.
このところ、特にそれが頻繁で。
それは、春という季節のせいか。
春とは、なにか新しいことに食指が動くものだからか。
断捨離で、過去の御用済みの遺物たちを取り除いていけば、必ず、何かが動きだす。
そう、空間に、生活に、人生に、新たな流れが蘇ってくる。
おそらく、それを感じとってくれたからこその取材だと。
もちろん、それら取材チームが求めるものは様々、それぞれ。
現実的な生活レベルの家事問題であったり。
夫婦や親子の人間関係の問題であったり。
つまり、モノの片づけにとどまった取材ではないことは確かです。
そうですね、私たちは、様々な問題で行き詰まることがある。
たびたび、なのか、時々なのか。
頻度はいろいろだけど、
行き詰まりを経験していない人などいないだろう。
そして、それら「行き詰まり」を、先行きの不透明さだと思っている場合がほとんど。
先行きの不安。
たとえば、眼の前にある分かれ道、どちらに進むべきか思いあぐねて、その場に立ち尽くしているような。
けれど、私に言わせれば、それは違う。
どちらの道を選ぼうと、どちらの道を進もうと、それぞれの経験をする自分がいるだけのこと。私たちの小さな頭で、どっちが正しいかなんて考えることの方がおこがましい。道を進んでみなくてはわからないことだらけであり、進んでこそ、見えてくることがいっぱいあるのです。
だから、私は、こう思うのです。
行き詰まりとは、
過去の遺物を、
余計な過去の遺物たちを、
過剰で余計な過去の遺物どもを、
無自覚にしっかりと抱え込んでしまった結果であり、自分で招いた今の自分の状態でしかないのです。
自分で、自分を、身動きとれない程の状態に追いやってしまった時に、私たちは、自分が「行き詰まって」いるように感じる。
行き詰まり、とは、息詰まり。
まさに、自分の息が詰まっているありさま。
だから、まず、あなたが今、住み暮らている空間を、モノにあふれた閉塞空間から、自然に深い呼吸ができる空間へとクリエイトしていく必要があるのです。
しかも、たくさんの過去の不要な遺物たちは、まるで重たい鉄の鎖のように、「足かせ」「手かせ」となって、私たちを、その別れ道の前に立ち尽くさせてしまうもの。
さあ、過去の余計で過剰な遺物どもとお別れしていこうか。
春弥生三月も、あと少し。
今の時期は、断捨離が一番その威力を発揮することをお忘れなく。
はい、新たな出発が必要になった時、断捨離は必須です。
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