あなたは、すみやかに「助け」を求める声を上げなくてはなりません。 | やましたひでこオフィシャルブログ「断捨離®」Powered by Ameba

あなたは、すみやかに「助け」を求める声を上げなくてはなりません。

おはようございます。

断捨離のやましたひでこです。

 

 

◇◇◇

 

 

「散らかりハウス」

「溜め込みハウス」

「いじめハウス」

 

私たちはずいぶんと言葉に誤魔化されている。

 

使う言葉を間違えて現状の認識を甘くするか、あるいはまた、強めてしまい、問題の解決から遠ざかる。

 

 

例えば、ストレス。

 

なんでもかんでも「ストレス」という言葉に置き換えてそこに逃げ込む。

ストレスという言葉を手軽な武器にして、やりたくない仕事、付き合いたくない相手から逃げる。ところが、激しく消耗しているにもかかわらず、ただのストレスとみなし、そこにとどまり続けたあげく過労自殺という悲惨な出来事が起こる。

 

例えば、トラウマ。

 

なんでもかんでも「トラウマ」という言葉に置き換えて言い訳をする。

傷つい過去を持ち出し、癒されていない自分を武器にして目の前の問題から逃げる。ところが、癒しどころか充分な治療が必要であるにもかかわらず、よくあるトラウマ体験とみなされ放置されることがある。

 

そして、いじめ。

 

私はこの「いじめ」のニュースを聞くたびに、いつも思う。「これって、いじめ? いえ、暴力でしょうに! 犯罪とみなしてもおかしくないのでは?」 

 

けれど、教師も校長も教育委員も、もちろんニュースでも「いじめ」としか言わない。

お腹を蹴ったとか、顔を殴ったとか、あるいは、お金を持ってこさせたとか、暴行であり恐喝であるにもかかわらず、それが、小・中学生の間での、学校内の出来事であると、「いじめ」という言葉が使われる。

 

教室で無視される、嫌な言葉を浴びせられるのも辛いいじめ事件なのに、それに暴力が加わってもなお「いじめ問題」として扱わなくてはならない理由は、いったいどこにあるのだろう。

 

ところで、なぜこんなことを考えているかというと、実は私の元を訪れる「片づかない」悩みを抱える受講生さんもクライアントさんも、現状認識がとても甘いと感じるから。

 

おおかたの主訴はこれ。

 

「いつも散らかっていて片づかないのです。片づけても片づけても、片づかないのです」

 

それはそうだろう、こんなにもたくさんのモノたちがひしめいているならば。

 

それはまるで、登山経験がまったくないにもかかわらず富士山に登ろうとしているようなもの。誰もが知っている山だから、大勢の人が登っている山だから、自分も登れるような気がして行ってはみたものの……、トレーニングもなしで登るのはとてもきつい。途中で断念して帰りたくなるのも無理はないはず。

 

それどころか、あなたが制覇しようとしている家の中のモノの山は、あなたにとって、北アルプスを縦走するかのごとくハードルの高い量。それを「散らかり←→片づけ」という言葉で認識しているから、おかしなことになる。

 

たくさんの余計なモノたちが溜め込まれたまま放置されているのが、あなたの家の実態。「散らかり」のレベルではないのです。だから、まず、モノの山を少しずつ、地道に、断捨離で切り崩していく必要がある。

 

つまり「散らかりハウス」という認識ではなく、「溜め込みハウス」として、現状を捉え直して登山計画を見直すこと。

 

そして私は、その多くの「溜め込みハウス」の現状を目の前にして、こんなふうに考えるのです。これは「虐待ハウス」だと。

 

つまり「このモノがひしめき荒れて淀んだ空間の有様」は、どうにも「空間で自分をいじめている」ようにしか思えない。なぜなら、そんな住空間にいると気力も体力も萎えていくだけだから。気持ちがすさみ淀んでいくだけだから。

 

 

もしも「散らかった部屋」「片づかない家」で慢性的な悩みをかかえているのならば、それは、あなたが空間からずっと「いじめ」を受けていることに他ならず、いえ、それ以上に「虐待」という犯罪レベルに陥っている可能性もある。

 

だとしたら、あなたは、すみやかに「助け」を求める声を上げなくてはなりません。

 

 

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