ここは「自分の居場所」とは思えないところだから。
ごきげんさまです。
断捨離のやましたひでこです。
春は足踏み、冬に逆戻りの日。
モノを通して潜んでいた心に気づく。
空間を通して奥底にあった気持ちに気づく。
これが断捨離の興味深く面白いところ。
私たちは、ただ、
モノが散らかる。
部屋が片づかない。
と、愚痴ったり、不満を覚えたり、悩んでみたり。
けれど、片づけとは、片ければ片づくもの。
行動さえ起こせばいい。
行動を続けさえすればいい。
でも、面倒で、大変で、たいそうでと、
なかなか行動が起こせないのは、いえ、行動を起こさないのは、
そこを自分の居場所だと心<気持ち>が思っていないから。
たとえ、やっと重い腰をあげ片づけを始めてもすぐ諦めてしうまう。
そうして、放置されたまま片づけの問題が深刻化していく。
そうして、どうにもならなくなってしまう。
それが、根本に横たわる問題。
私たちは、誰だって自分の居場所と思えないところを、
つまり、
自分の居場所でもないところを丁寧にケアしようとする気が起きる訳もなく。
これは、当然といえば当然。
たとえば、
もう、うんざりとしている夫との生活の場であるならば、その空間のケアはないがしろになるのは自然な成り行き。
たとえば、
自分のことを嫌っているならば、嫌いな人<=自分>がいる空間のケアがおそろかになるのは自然な成り行き。
たとえば、
こんなはずじゃなかったと感じているならば、こんなはずじゃない問題が横たわっている空間をケアする気にならないのは自然の成り行き。
そして、ここで一番厄介なのは、「ここは自分の居場所ではない」という自分の心の奥底の気持ちに気づいていないという事実。
けれど、モノを断捨離しだすと、まるで、心の蓋、心の重石がはずれていくかのように、底に沈んでいた気持ちが浮上して自分でも驚くことになるのです。
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