断捨離の言葉だけをつまむ人
ごきげんさまです。
断捨離のやましたひでこです。
路地裏からの東京タワー
あなたは、あなたのレベルで、あなたの手にした世界を語り、
わたしは、わたしのレベルで、わたしの手にした世界を語る。
レベル。
この言葉、いやらしく響くこともあるし、もっともだと耳に届くこともある。
その違いも、どのレベルで捉えたかの違いにすぎないね。
ああ、私やましたひでこは、なぜ、こんなことを書いているのだろう。
断捨離に、宇宙を感じ抜く人もいる。
断捨離に、哲学を読みとる人もいる。
断捨離に、禅を見出す人もいる。
断捨離を、モノを捨てることだと思う人もいる。
断捨離を、家の片づけだと思う人もいる。
断捨離で、仕事を企む人もいる。
断捨離で、生きがいを見つける人もいる。
そして、断捨離の言葉だけをつまむ人もいる。
ま、これが一番多いね。
そう、これは、ぜんぶ、この一週間に出会った人、メッセージをくれた人、それぞれのレベルでの理解の羅列。
言い換えるならば、断捨離へのとても高い評価であれ、お粗末な評価であれ、どちらであっても、結局は、どの評価も、下したその人のレベルの表れにすぎないということ。
だから、私は、これらの正誤をことさらに言うことはないのだろう。
だから、私は、それらの評価に一喜一憂している場合でもないのだろう。
もちろん、学生時代から40年近く、
ああでもない、こうでもないと、息を吹き込んできた身としては、
そして、今も進化と発展と深化に取り組んいる者としては、
時に喜び、時に舞い上がり、
時に情けなく、時に怒りを覚えることがある。
そう、深い洞察にもとづいた理解は、やはり、とても嬉しい。
そう、あまりの稚拙な理解には、やはり、悔しさが募るもの。
ところで、私やましたひでこが、とても嬉しかった断捨離への理解の言葉これ。
断捨離とは、埋没経
断捨離とは、マントラ
断捨離とは、曼陀羅
そうか、40年前、埋もれていた断捨離という経文を、どういう訳がほじくり出してしまった私。
これからは、マントラとして、曼陀羅として、さらに身体に刻み、落とし込んでいかなくてはと思うのです。
◆やましたひでこ断捨離塾
http://www.yamashitahideko.com/sp/CPD_YDJR/index_of.php
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