欲張りだからこそ、断捨離という「手放し」が性に合うのだと思うのです。
ごきげんさまです。
断捨離のやましたひでこです。
空中庭園
若い女性から、こんな質問を受けた。
人生を生きる意味が分らないと。
どうせ人は死ぬのだから、生きているかいが見当たらないと。
だから、自分はいつ死んでもかまわないと。
こんな質問を私にぶつけてきた女性。
それは、絶望からなのか、
それとも、もう充分生き切ったということなのか、
私にはわからない。
もしも、この質問の根が「絶望」であるならば、
彼女はフーコー張りの哲学的視点を得たことになる。
もしも、質問の根が「充足」であるならば、
彼女は欲が不足していることになる。
でもね、他者である私がこんなことを分析しても仕方がないね。
そして、質問者であるこの女性も分析を求めている訳ではないのだから。
けれど、こんな質問を受けるたびに、私が思うことはいつもこれ。
私たちは、死ぬまで生きなくてはならない運命にある
でもって、どうせ死ぬまで生きなくてはならないのならば、
欲張って生きていきたいね。
そう、貪欲なくらいね。
ああ、私、断捨離のやましたひでこは、実は欲張り。
貪欲だからこそ、断捨離なんぞという「手放し」が性に合うのだと思うのです。
◆やましたひでこ断捨離塾
http://www.yamashitahideko.com/sp/CPD_YDJR/index_of.php
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