間違いなく、断ることの方がずっとずっと難しい…
断捨離のやましたひでこです。
黄昏過ぎて、暮れなずむ。
今日も美しい一日。
本の執筆依頼を断り、
雑誌の連載依頼を断り、
テレビ出演を断り、
雑誌取材を断り、
講演依頼を断り、
セミナー依頼を断り、
パーティーのお誘いを断り、
食事会を断り、
この頃の私は、たくさん断ってばかり。
でもね、
断るって、どこか偉そうで、
断るって、なんとも申し訳なくて、
やましたひでこさんよ、いったい、何様のつもり!?
なんて、自分で自分に突っ込みたくなる程。
ああ、断ることから見れば、捨てることなんて、
とっても簡単。
とっても気楽。
なにより、捨てることで、捨てたモノやコト以上の「何かしら」をいっぱい得て来たのでね。
なにより、捨てれば得られることを体験しているのでね。
しかも、捨てるものごとは、実際、今の私に機能しなくなったことばかりだから。別に必要なものごとを捨てている訳ではもないのだから。
捨てる恩恵
そう、たしかに、その恩恵をいっぱい得たのは私やましたひでこだと自負がある。
けれど、断ることは、そうはいかない。
まず、第一に、所謂、「スケベ根性」が働いてしまうから。
このスケベ根性、言い換えるならば、「逃がした魚は大きい」という諺が適当かしらね。
断ったら、
得られるはずのものが得られなくなる。
貰えるはずのものが貰えなくなる。
「はずのもの」、即ち、それは、
チャンスだったり
出逢いだったり、
お金だったり、
運だったり
その大きさは、いくらでも、心の中で肥大していくもの。
依頼を引き受けなかったら、
お誘いに参加しなかったら、
チャンスも
出逢いも
お金も
運も
すべてが、とても大きなものを逃してしまうのではないかという気になってしまうものだし、二度と依頼も誘いも来なくなってしまうような気にもなる。
でもね、それは違う。
もともと、依頼される前は、依頼された物事は何もなかったから、失うこと自体はないのです。
得られないという怖れ。
失うという怖れ。
二度やって来ないという怖れ。
もしも、それら怖れで断れないでいるとしたら、
もしも、それら無自覚な怖れで引き受けているとしたら、
それは残念というしかない。
なぜなら、動機が結果をもたらすものだから。
怖れから出たものは、怖れの結果しかやってこないものだから。
ところで、私、どうして、こんなに断っているのかしらね。
たぶん、自分の怖れと向かいあっているから...
いえいえ、そんなかっこのイイ話しではないことだけは確か。
まあ、キャパオーバーであることは間違いないかなと。
◆やましたひでこ断捨離塾
http://www.yamashitahideko.com/sp/CPD_YDJR/index_of.php
あなたの応援クリック、とても嬉しいです。