空いた部屋の成れの果て ~私が断捨離する理由 | やましたひでこオフィシャルブログ「断捨離®」Powered by Ameba

空いた部屋の成れの果て ~私が断捨離する理由

ごきげんさまです。
断捨離のやましたひでこです。





断捨離ハウス、雑木林の下草を刈り込む。

この庭の断捨離、友人のさよこさんとyamaさんがやって下さって。
暑い中、夕方まで汗だくの作業でしたね。

有難うござます。



さてさて、私は、お姑さんの残していったモノたちを、せっせと断捨離した三日間。


モノの断捨離とは面白いもので、

最初は、たしたことはないと思いつつ、
いざ、モノの山をまじまじと見つめてみると、その半端ない量に面くらって途方にくれるもの。

でもね、実際、やる出してみると、エンジンがかかりっぱなしとなって止まらなくなる。

とまらない、やめられない!

当初の戸惑いはどこへやら、ひたすら、というより無心か!?、モノをゴミ袋に詰める作業が続く。

で、終わってみれば、ど~んと疲れが出るものの、その達成感と爽快感はたまらないな~


でもね、これは、自分にとって思い入れのないモノたち、つまり、ゴミ、ガラクタという分別クラスのものに言えること。

思い入れの強いものは、そうは、いかない。

まして、今回の私の断捨離は、抵抗勢力者無し、思う存分、思いっきり捨てまくることができたというカタルシス効果も満点。

そう、あり得ない、爽快な気分!


私、思うのですよ。

空き部屋がひとつできると、たいてい、そこは物置部屋と化していく。

子供が独立していって出ていった跡の部屋。
<娘、息子が、モノを置きっぱなしにして出ていくケースもある>

同居の親が亡くなって空いた部屋。
<親が、手に負えないたくさんのモノを置いて逝ってしまうケースもある>

家族は、自分の要らなくなったモノたちを、一時の仮置き程度のつもりで、そこに運びこむ。けれど、それが、一時で済むことはなく、放置されっぱなしとなって積み上がっていくのだ。


以前、こんな光景に遭遇したことがある。

お花の師匠でもあり、私の人生の先輩でもあった方。
名のある華道家として、たくさんのお弟子さんたちを教えていたご自宅の広い和室。

けれど、この方が、突然の病で倒れてしまわれて。
そして、使われることのなくなった趣きのある和室は、いつの間にか、すでに成人している子供たちのモノでいっぱいになってしまっていた。

あの、いつも美しく花が活けられていた床の間も、掃き清めらていた畳も、積み上げらたモノで、見る影もない。

私は、その光景が切なく、やりきれなかった。
そして、怒りまでもがこみ上げてきた。

とても大切なモノたちが大事にとっておかれているならまだしも、そこに運びこまれていたモノたちは、どうみてもガラクタの類、ちゃんと処分するには少しばかり手間がかかるであろう、古いゴルフバックであったり、傷んだスーツケースであったり、身の丈にあわなくなった学習机であったから。

処分する手間と時間を面倒がったばかりの成れの果て。
そして、もう手がつけられない程のモノの堆積。


私は、介護ホームへ移り住んだお姑さんの部屋を、ぜったいに物置にはしないし、物置とはさせない。

美しく保ち、いつでも使える部屋にしておこうと決めている。

まだまだ、お姑さんの部屋の断捨離は終わってはいないけれど、これが、私がこんなにもせっせと断捨離に励げむ理由でもあるのです。






実家の断捨離 片付けのカギは「親離れ」/双葉社





やましたひでこ断捨離塾
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