岐阜にて「夫婦の日」に「夫婦の断捨離」を話しあう ~三連休、忙中「忙」あり<3>
断捨離のやましたひでこです。
いつもより、やたらと込んでいる東海道新幹線。
なぜだか、大きな荷物の人が多い。
ということで、そうか、この日は、
三連休の初日なんだなと気づく。
カレンダーとは無縁な暮らしの私。
毎日が仕事日で、
その実、毎日が休日のようで。
そうですね、カレンダーに焦点を合わて思考をスタートさせるか、
自分の行動に焦点を合わせて思考をスタートさせるか、
その違いで目の前の現実の色が違ってくるのですね。
夕刻、岐阜羽島の会場に到着。
岐阜羽島の文化ホール。
メタリックな看板に夕陽が反射して美しく光る。
施設の中はこんな立派なホールが大小二つ。
地方は、会場に恵まれているなと感心しつつ、
つい、稼働率を案じたりもする。
さあて、この日の講演タイトルは、
「夫婦の断捨離」
会場には、いつもより夫婦の二人組さんが目立ち、
一人で参加の男性の姿も多かったよう。
夫婦とは、住空間を高い密度で共有する関係。
もしも、夫婦のパートナーシップを考えていくうえで、
その住空間がどのような状態であるのかに、
まるで気を配っていないのであるとしたら、
それは、とても間の抜けた思考だと言わざるをえない。
夫婦とは、二人ともが、物理的に、身体的に、心理的に、
自分の居場所はこの家、この空間だと感じてこそ、
様々に生じるであろう問題を乗り越えていける。
では、夫婦の居場所、住空間がこんな状態だとしたらどうだろう。
溜め込まれたモノたちで占領されていたら?
溜め込まれたモノたちで息が詰まりそうだとしたら?
溜め込まれたモノたちで息苦しかったら?
ですよね!
住まいがモノの居場所<倉庫、モノ置き>になり下がり、
自分たち夫婦の居場所ではなくなっている。
家が閉塞空間、窒息空間に成り果てて、
自分たち夫婦がそこで息をひそめている。
そう、物理的な居場所もなく、身体的にも呼吸が浅くなれば、
心理的にも、家が居場所でないと思ってしまうのは必定。
こんな有り様では、息のあった夫婦となるための道のりは、
まるで石ころがいっぱい転がったガタガタの道となる。
ところが、多くの妻、たいていの夫が、このことを見落とす。
夫の帰宅がいつも遅いと嘆く妻。
たまの休日もどこかへすぐ出かけてしまう夫に不満の妻。
こんな妻は、夫をなじるのだけれど、
家の有り様には注意を払おうとはしない。
自分のモノの溜め込みを振り返ることはしない。
なぜなら、無意識無自覚なモノの溜め込みだから。
妻が溜め込んでいるモノが堆積し、
そのうえ、それらが溢れるようにして散らかっているとしたら、
夫の足が家から遠のくのは無理からぬこと。
おまけに、妻は不機嫌な空気をいつも漂わせているのだから、
息苦しさから逃れたくなるのも自然なこと。
さあて、例として妻を持ち出したのだけれど、
もちろん、夫の大量のモノの溜め込みに溜息をついている妻もいる。
繰り返しておこうか。
夫婦のゆとりあるパートナーシップを築いていく上で、
住空間を呼吸空間へとクリエイトしていく断捨離が、
とてもとても効果的に機能することを。
これは基本であり、基礎。
もしも、この基本・基礎をなおざりにしているままであるならば、
夫婦のパートナーシップは果てしなく茨の道となる覚悟がいる。
講演会の主催スタッフさんたちと。
懸命に子育てをしながら、
豊かな夫婦のパートナーシップを築こうとしている実践派の女性たち。
彼女たちに、断捨離の仲間から花束のエールが届けられましたよ。
有難うございます。
あなたとの出逢いにいっぱいの愛を込めて。
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『イタい女になる人、ならない人』
~イタい女は、なんでも溜め込む~
◆やましたひでこ断捨離塾
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