モノを慈しむということ 「それでも私が捨てられなかったもの」やましたひでこ著 | やましたひでこオフィシャルブログ「断捨離®」Powered by Ameba

モノを慈しむということ 「それでも私が捨てられなかったもの」やましたひでこ著

ごきげんさまです。
断捨離のやましたひでこです。

いよいよ発売となります!


http://www.amazon.co.jp/dp/4781611982/

私の初めてのフォト・エッセー。
そう、書きおろしエッセイ&撮り下ろしカラー写真の本

とても美しくて愛しい本に出来上がって嬉しくてなりません。

どうか、あなたのお手元に旅立っていくことを、
心より願いつつ、本書に綴った後書きを紹介させていただきますね。


あとがき

モノを「慈しむ」ということ

本書を書き終えて、改めて気づく。
「モノを慈しむ」ことは、とりも直さず「自分を慈しむ」ことだと。

そもそも「慈しむ」とは、どういうことだろう。
わかっているようで、わかっていない私たち。
具体的にどんな状態であれば、
どんな行動をとっていれば「慈しむ」と言えるのか。

最後にこのことを、少しばかり丁寧に考えてみようかと。

まず、そのままに捨て置くこと=「放置」
それから、存在することさえ忘れた状態にあること=「無関心」

こんな状態を、「慈しむ」とは誰も思わないでしょう。
けれど私たちの家には、こんな状態のモノたちが、
かなりの量あるのが事実です。

そして、ぞんざいな扱いをすること=「乱暴」
または、まったくかまわずに手入れを怠ること=「放棄」

こんな行動も、「慈しむ」とは、ほど遠い。
けれど私たちは、たくさんのモノを抱え込むほど、
無意識のうちにぞんざいに扱い、手入れを面倒に感じるものです。

だとしたら、手始めに私たちがやることは、モノを絞り込むということ。
たくさんのモノを前にして、自分の「慈しむ」心が散漫にならないようにするために。

捨てて、手放して、絞り込む。

こうして自分で選び抜き、わずかばかりになったモノたちに対して、
私たちはどんな気持ちになり、どんなふうにモノたちを扱うことになるだろうか。

わたしの役に立ってくれて、ありがとう。
わたしの気持ちを和ませてくれてうれしいよ、ありがとう。
わたしを励ましてくれるなんてご苦労さまだね、ありがとう。

わたし、あなたのこと大好きだよ、だから、あなたを整えるね。
わたし、あなたのこと大切だよ、だから、あなたのこときちんとしまうね。
わたし、あなたのことが大事だよ、だから、あなたをピカピカに磨くよ。

そんな感謝の気持ちと行動が、自然にあふれ出している自分自身の姿、
想像できますよね。

「慈しむ」とは、ねぎらうこと。
「慈しむ」とは、気持ちを込めて手入れをすること。
「慈しむ」とは、言葉をかけて、優しい眼差しで受け入れていくこと。

そう、「慈しむ」とは、言葉だけですむことではなく、行動がともなってこそ。
そうして、そんな行動を繰り返し重ねるあなたこそが、慈しみ、慈しまれる存在となっていくのです。

モノとの関係を、そんなふうに築いているあなたのモノの物語を、
私は聞きたくて、知りたくて、たまらなくなります。

あなたとの出逢いに、あなたの物語に、いっぱいの愛を込めて。

やましたひでこ

それでも私が捨てられなかったもの
やましたひでこ著/イースト・プレス

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