「時をはずした日」に思う。 | やましたひでこオフィシャルブログ「断捨離®」Powered by Ameba

「時をはずした日」に思う。

ごきげんさまです。
断捨離のやましたひでこです。


う~む、只今、私、混乱しておりまして。

そのせいか、いえ、そのせいで、
仕事のデスクも惨憺たるありさま。

そう、本と資料と原稿が散らばって。

いやはや。

ここらあたりで、この状況に歯止めをかけなくては、
思いつつも、このカオスもなんだか悪くないかなと。

何故って、このカオス、停滞ではないのでね。

物事が舵を切って新たな方向に進み出そうとするとき、
一時的な混乱に陥ることは度々経験しているから。

さて、私の今の仕事上の混乱以外にも、
時々こんなふうに戸惑うことがあるもので。

仕事がら、こんな挨拶をよく受ける。

「私、なかなかモノが捨てられないんです。」

これって、お悩み相談では?
いえ、挨拶なんですね、私にとっては。

そうなんです、初対面の方は、
私を断捨離やましたと認めた時には、
ほとんどの場合、「こんにちは」の言葉のあとに、
この「捨てられない」を続けて下さるのです。

おそらく、会話の糸口なるとか、
なにかしら私の期待に応えることになるのでないかという、
優しい気づかいからなんだと思うのです。

でね、問題なのはここから。

その後の会話で、飛び出すことは、
「執着を捨て無にならなくてはダメなんですよね!」

あらら、少しばかり、いや、かなりの飛躍。

捨てられないモノを捨てるために、
無になる必要なんてまったくなくて。

そもそも、無なんて、どういう状態なんだか、
皆目見当もつかない話で。

でもね、こうやって飛躍させてしまう理由は思い当たる。

捨てる行為のハードルを上げることによって、
捨てれられないのも無理からぬことだと、
自分で自分を慰めてみたり、当然だとしてみたり。

捨てられないと悩む必要などない。
捨てられないと愚痴をこぼす必要もない。

それは、時間とエネルギーの無駄でしかなく。

捨てたいのならば、捨てればいい。
捨てたくないのであるならば、捨てなければいい。

捨てたいのか、
実のところは、捨てたくないのか。

それは、自分に問いかければいい。

捨てたい自分も、捨てたくない自分も認めるだけでいい。
それは執着を捨て無になることなどまったく無縁の世界。

だから、他者に向かって言うことではない。
それは自分の所有しているモノであるのだから。

そうですね、私が戸惑うのはこのこと。

私たちは、自分の問題をどれだけ他者に向けるのか。
私たちは、どれだけ自分の内側に向かうのを回避するものなのか。

もちろん、これは、私自身も含めてのことだけど。

さあて、私も今の混乱に対処すべく、
自分自身に問いかけていくとしますかね。

有難うございます。
あなたとの出逢いに、いっぱいの愛を込めて。


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