「いえ、僕の方がもっと痛いんです」  | やましたひでこオフィシャルブログ「断捨離®」Powered by Ameba

「いえ、僕の方がもっと痛いんです」 

ごきげんさまです。
断捨離のやましたひでこです。



拘束?、幽閉?、軟禁?と思いたくもなる入院暮らしも、
慣れてくると、それなりに面白くなってくる。

私の入院先は、大きな総合病院ではなく、
単科のこじんまりとした専門病院。

当然、入院患者さんはほぼ同病で。

結果、話題はその一点に集中し、
いかにお互い「痛み」に耐え抜いてきたかで、
話が大いに盛り上がる世界。

なにせ、相手の痛みの辛さは、自分も経験済み。
まさに同病相哀れむとはこのことかと。

そんなラウンジでの入院患者さん同士の会話を、
時に俯瞰しながら、時に自分も意図的に加わりながら、
感じることはこれ。

私たちは、自分の「痛み」を上手に利用?活用?しながら、
コミュニケーションしていくものなんだと。


これは、「お天気」を話題にするよりも、
ずっとずっと効果的なツールであるに違いないよね。

でもね、「痛み」であれ「お天気」であれ、
それらの話題は、どこまでもきっかけに過ぎないことは確か。

それに気づかずしがみ付いていると、
延々と「痛み」の自慢話に終始することになる。

「私はこんなに痛いのだけど」
「いえ、僕の方こそもっと痛いんです」

なんてね。

まあ、入院患者同士、一期一会であるのでね、
期間は限られているから、それはそれで済むこと。

でも、こんなやり取りを、特に「心」の痛みの領域で、
日常的に、延々とやり続ける私たちがいる。

「あなたは、私の気持ちを分かってくれない」
「お前こそ、俺の気持ちを分かってはいない」

「わたしは、こんなに我慢している」
「俺だって、お前に我慢している」

こんな非生産的な人間関係は、
特に密な接触にある夫婦、パートナー間でこそおこる。
もちろん親子の間でも。

家族という、縁の切りがたい関係の中で、
時に表立った喧嘩として、時に鬱屈して、
こんな場面が繰り返されているとしたら。

さあて、どうしましょうか。

私は、これを「わかってよごっこ」と命名している。

「ごっこ」はどこまでも戯れの遊び。

遊びは遊びとして愉しんでじゃれあっているうちは、
それもそれでいい。

けれどね、やがては必ず、
そこから卒業していかなければならない時が、
あることを覚えておいた方がよさそうかな。

なぜって、人生に退院はないのだから。

・冒頭の写真、お見舞いに頂いたチョコレート。
あらら、少し食べすぎたかも^^;


有難うございます。
あなたとのご縁にいっぱいの感謝を込めて。





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