溜め込む痛みと捨てていく痛み、どちらも痛いんだよね。 | やましたひでこオフィシャルブログ「断捨離®」Powered by Ameba

溜め込む痛みと捨てていく痛み、どちらも痛いんだよね。

ごきげんさまです。
断捨離のやましたひでこです。


手術同期組、そして同じ居残り仲間さんの男性の姿が、
昨日の夜から食堂にはなく。

あれ、どうしたんだろう。
ますますもって痛みが激しくなってベットから起き上がれないのかしらん。

と心配していると、今朝、診察待合室で逢えた。

案の定、激痛と発熱で苦しんでいたのだとか。
それも患部の化膿によるものらしく。

今朝は、その膿を取り除いてもらったので、
とても楽になったと久しぶりの笑顔。

けれど、その膿を取るときに処置の痛みも、
半端ではなかったようで、
ひとしきり「痛み談義」に花が咲く。

まあ、これも余裕がでできたからこその痛み談義かな。
なによりですね、快方に向かったのだから。

思うに、痛みとは二種類あるようで。

内に籠っていく時の痛み、外に出していく時の痛み。
溜め込んだが故の痛み、取り除き捨てていこうとする故の痛み。

いわば、陰と陽の痛みと言っていいのかもしれない。
そう、収縮と拡張、それぞれの痛み。

それは、身体の患部の膿のことだけではなく。
それは、家の押入れのモノの溜め込みだけではなく。

それは、人間関係だってそう。

なんであれ、抱え込む痛みと手放していく痛み、
どちらにも痛みが伴うことには変わりないですね。

でもね、私たちは、捨てる痛みを嫌う。
そうだ、私たちは、手放す痛みを怖れる


どういう訳かね。
どっちも、痛いことには変わりないのにね。

そうだ、たしかに痛みには二種類ある。

そして、あらためて思う。

溜め込んでいる痛み<状態>は、停滞、滞留、固着。
手放していく痛み<行動>は、変化、流動、解放。


捨てる痛みのその先には、
手放していく痛みのその向こうには、
いったい何が待っているかと思うと、
どっちの痛みを選択するかは、
おのずと明らかになっていくものですね。

もちろん、その選択決断には、
少しばかり、いえ、時に大きな勇気がいるのだけど。

・冒頭の写真、新たに仲間入りした私の独房へのお客さま。
なんとも香しく麗しいお見舞いの花々です。

有難うございます。
あなたとのご縁に、いっぱいの感謝と愛を込めて。




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