「ラブレターを見つける」
断捨離のやましたひでこです。
地元に戻ると、今度は取材陣がやってくる。
はい、ようこそ、ようこそ、我が断捨離ハウスへ。
何度も取材して下さっているお馴染みの編集者さんとライターさん。
一度きりの記事ではなくて、こうして繰り返し取材して下さるのは、
とても嬉しく有難いこと。
なんだかね、一緒に断捨離の道を歩んでいる仲間のようで、
互いの新たな気づきを報告しあいながら、愉しい取材はつづく。
その編集者さんが、こんな話をしてくれる。
実家の断捨離をしたら、ラブレターが出てきた。
それは、父が母に宛てたラブレター。
父親も、その存在を忘れていたラブレター。
読んでみると、自分の両親が愛し合って結婚したんだなと、
しみじみと感じられたとか。
そして、自分が生まれた。
自分の誕生の原点が、愛ある祝福されたものだったのだと、
あらためて確認できたラブレターの存在。
もう、これだけで自尊感情が心の奥から湧き出して。
そうですね、もしも両親の結婚が「出来ちゃったので」という結果だとしたら、
その子は、自分の誕生をどうとらえたものか戸惑うかもしれない。
出来ちゃったので、嬉しくて・・・
出来ちゃったので、仕方なく・・・
どっちなんだろう?
う~ん、やはり、「出来ちゃった」という言葉の響きは、
喜びにはそぐわないよう。
子とは、恵まれて授かるもの。
ああ、すべての子供たちの誕生が、望まれたものであることを、
願わずにいられない。
そうであれば、きっとね、
こんなにも自尊感情の欠如で苦しむ人々が、
いなくなるだろうから。
おっと、以上は、取材中の横道のお話。
さてと、どんな記事になるのかは、やましたにもわからなのです、
あまりに脱線ばかりしたのでね^^;
京都からご来訪のPHPの取材の皆さん。
カメラマンさんが、セルフタイマーで撮影してくれました。
有難うございます。
あなたの応援、とてもとても嬉しいです♪