長女とは・・・  「悩みの断捨離」セミナー in 大阪 その2 | やましたひでこオフィシャルブログ「断捨離®」Powered by Ameba

長女とは・・・  「悩みの断捨離」セミナー in 大阪 その2

ダンシャリアンの皆様、ごきげんさまです。
断捨離のやましたひでこです。

 

長女って、大変なんだね。

親の有言・無言の期待を、一身に引き受けて、
懸命に、それに応えようとして生きてきた。

けれどね、ふと、気がつくと、弟や妹は、
自由に自分の人生を選択している。
〝わたし〟ばっかりが、親に従順な選択をしたようだ。

しかも、今となっては、親と家への責任も担っている。
そして、周囲は、それがあたり前ぐらいにしか思っていないよう。
べつに、感謝を期待している訳ではないけれど、
なんだか、やりきれない・・・

要約すると、受講生さんの多くの「長女」さんたちは
こんな思いを抱えている訳で。

そうか、長女とは、長女であるがゆえに、
長女としての「縛り」が、自分にかかるのですね。

私には、姉がいた。
過去形なのは、もう、すでに故人となっているから。
私、やましたは、二人姉妹の次女として育つ。

5歳年上の姉は、小さな私から見れば、圧倒的な存在。
つまり、姉は、長女であるということだけで、
妹を威圧しているように見えた。

そう、私には、思えた。
理不尽だよね、長女だからって、妹に言うことばかりきかせて・・・
と、私はずっと思っていた。

それに、解せなかった。

国際結婚して、遠く離れたドイツから里帰りを繰り返し、
一人暮らしの母親をかまう。
かまわれたくない、まだ元気いっぱいの母親とは、
当然、言い争いとなる。

姉の母への「教育的指導」は、その里帰りのあいだ中なされ、
「放任」希望の母と対立するばかり。
けれど、別れ際は、「また、帰って来てね」と母は言い、
姉は「また、帰って来るね」と言い、ドイツに戻る。

これが、我が母と長女である姉との関係。

まったくね、次女である私には、この関係が理解できない。
「放っといて」と言っているのだから、放っておけばいいし、
だいいち、母親をあれこれかまうことなど思いもよらない、私。

そう、次女とは、家族にあっさりしているのだ。
まあ、私だけの場合かもしれないけれど^^;

それでも、今は、わかる。
亡くなった姉の、長女であった姉の、思いや立場が。

そうですね、私の姉は、親の被害者だったと。
そんな気がしてならないのだけど。

長くなりそうです、つづきは、また。

     

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