「捨てる女」VS「???」
ダンシャリアンの皆様、ごきげんさまです。
断捨離のやましたひでこです。
なんかだ、この数日、異常に睡眠時間が長くなる。
そこに、質があるのか、ただの惰眠かは疑問符がつくけれど。
まあね、一応スッキリとした目覚め、一応ね。
あはは、この一応というところが、問題か。
我がカラダ、いったい何を求めているのかしらん。
さて、とある雑誌から、対談の企画をいただく。
有難いこと、なんたって対談は愉しくて、面白い。
いままで、たくさんの、さまざまの方々と、
対談させていただいたけれど、
まったく、違う分野でも、強い繋がりを感じて、
大いに盛り上がることばかり。
けれど、今回は、ちょっと違う趣き。
企画意図に、こんな対立の構図があるのかなと。
「捨てる女]VS「捨てない男」
対談のお相手は、蒐集が趣味の、
モノをいっぱいお持ちの男性著名人を、
予定しているとのこと。
「捨てる女」VS「集める男」
もちろん、お相手が、どなたに決まっても、
とても、愉しみであることには、かわらない。
物事の選択基準は、面白そうか、どうか。
それが、私自身の選択基準の大きな要素のひとつ。
面白しろそう♪と、直観さんがメッセージを贈ってくれたのでね、
それを、信頼するだけのこと。
それに、私は「捨てる女」なのかしら?
「捨てられない」と悩む人のコンサルは、するけれど。
はい、間違いなく、「捨てさせる女」ではないことは、たしか!
言うなれば、「生乾きのカサブタ」を、
外側から、ベリベリと剥がすことはしない、決してね。
カサブタは、時期がくれば、必ず自然に剥がれ落ちる。
それを、「信頼してはいかがですか」と、断捨離をシェアしていく。
そうだね、断捨離とは、自分への信頼を育むプロセス。
そして、断捨離とは、その信頼の輪を広げていくことが目的。
問題なのは、剥がれ落ちた「カサブタ」の残骸が、
それと知らずに、家中に散らばり、堆積していることの方。
ああ、長くなりそうです。
つづきは、明日のブログに、また。
今日も、読んで下さって、感謝です。
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