「備蓄」と「買いだめ」と | やましたひでこオフィシャルブログ「断捨離®」Powered by Ameba

「備蓄」と「買いだめ」と

『未来を信じること
日本人の底力を疑わないこと
これを機会に、人間関係を再構築し強化しておくこと
そして、これを機会に、逞しくなること』 ~三枝龍生

我が大親分・龍生先生の言葉。
励まされます。
ちなみに、ぽん♪は、先生の勝手な押しかけ子分にて!


ダンシャリアンであるならば、理解できるだろう「備蓄」と「買いだめ」の違いを。

備蓄とは、適正な危機管理。
けれど、同じモノであっても、買いだめとなったらそうはいかない。

不安から買い込んだ三日分の食糧。
三日分あれば安心なのか、いえ、今度は、5日分ないことに不安になる。

では、5日分あると安堵するのか、いえ、今度は、1週間分ないことに不安を覚える。

不安がモノに化けて、化けたモノたちが、更なる不安を呼び起こす。
まるで無限地獄のごとく、負の連鎖となる。

不足に焦点を合せているかぎり、どんなに買いだめしても、
どれだけ抱え込んでも、安心はやってこない。

それよりも、なによりも、今ここにあるものに焦点を合す。
今ここの有難さに焦点を合わす。

そうすれば、その今が、未来を信じることに繋がる。
そうして、信じた未来が、流れ込むがごとくやって来る。

ダンシャリアンであるならば、よくよく承知しているだろう、このメカニズムを。


ニュースでは、被災した病院から避難所に搬送された患者さんたちの相次ぐ死亡を伝える。
まるで、送りだした病院側の対処、受け入れ側の避難所の対応に、
なにかしらの問題があったがごとく。

なんて、やるせないのだろう。
この圧倒的な、誰もが経験したことのない大災害、なにもかもが不足している状況下、
その時の懸命な対処対応に、もしも責任問題を云々するのだとしたら、それは悲しい。
ただただ、誰にとっても、悲劇的な出来事が起こったに違いないことなのに。

そして、原発禍。
今日も、決死の必死の作業が最前線でづづく。
ご家族の心境は、いかばかりかと思う。

どうか、すべての方々が原発から、必ずご無事で戻ってくることを、
ひたすら祈ります。