過剰という不健康 | やましたひでこオフィシャルブログ「断捨離®」Powered by Ameba

過剰という不健康

ごきげんさまです、断捨離のぽん♪です。

白山の上空を超えて、東京へ。
ただ今、東京滞在5日目。

去年の暮れから雪模様の日々、だから、ずっとゴムの長靴暮らし。
東京は、足元軽やか、久しぶりのパンプス。

そして、上京のたびごとに、ホテルから眺める朝陽。
この陽光に、ただいまと、思わず声をかけたくなる。





さて、受講生さんから、どうにも「腑に落ちない」と、こんな質問を頂戴する。

「毎回こうやってお金を払ってゴミを捨てている自分って、何なんだろう・・・」
「そしてまたお金を払って何かを買い、捨てる。その繰り返しをしてる自分って何?」

断捨離の度ごとに、大量にでるゴミ。
いつも処分場に、お金を払い捨てに行く。

今まで、抵抗なく料金を負担していたけれど、
ふと、こんな疑問がこみ上げてきて。

モノの処分にお金を払うこと。
それは、無自覚に負のモノたちを溜め込んだ自分への戒め。
そんな感覚なので、お金を払うことに抵抗がある訳ではないけれど。

「私は、、、ゴミと一緒にお金も捨てているのかな、、、と。」
「それとも自分への戒めと感じていることが、自分を責めているようで厭なのか。」


ぽん♪は、こう思う。

住まいが、大量の不要・不適・不快なモノで、病んでいる。
家を、病んだ状態にした自分も、過剰に溜め込むという生活習慣病のようなもの。

断捨離とは、その生活習慣病に、自分で診断を下し、自分で治療に取り組んでいくこと。
その治療費とも言うべき処分費に、費用が嵩むのは、仕方のないこと。

けれど、処分場への持ち込みは、外科手術。
その緊急処置が済んだあとは、やはり、生活習慣の見直しという根本療法へ。

自分とモノとの関係の問い直しという、根本療法。

モノの処分に伴う罪悪感、呵責の念は、治癒へと向かうプロセスの中で、
程度の差こそあれ、誰もが、感じるのだろう。
もちろん、このぽん♪も、何度も、幾度も味わってきた。

不足からくる病と、過剰からくる不健康。

モノの堆積停滞という、過剰ゆえの不健康からの脱出は、
やはり、それなりの期間が必要となる地道に繰り返す改善作業。

一時の処分だけで、すべて解決するわけではないのだと。