てんこ盛り東京 その3 今ここ、そして、わたし | やましたひでこオフィシャルブログ「断捨離®」Powered by Ameba

てんこ盛り東京 その3 今ここ、そして、わたし

ごきげんさまです、断捨離のぽん♪です。

月の初めのお参り、白山比神社へ。
表参道の緑はひたすら濃く、季節は夏へと。
今回は、縁あってお預かりした古札やお守りたちを無事返納。
引き受けたことが完了できて、気持ちもスッキリ。

でね、その前に、これも恒例の美化センター通い。
こちらは、姑さんから頼まれた漬物用の大量の樽と大きな重石の処分。
漬物を漬けることが大好きで、しかも、それを配って回るのも大好きで、
姑さんの生きがいの象徴のようなこれら樽や重石たち、
さすがに齢80代半ば、近頃の腰痛には勝てずに断念せざるをえなく。
ぽん♪としても残念なこと、とびっきり美味しい姑さんの自家製漬物。
夏の瓜の粕漬け、冬の大根と鰊の糀漬け、一度姑さんの漬物を味わうと、
他の漬物はかすみます・・・
不肖の嫁ぽん♪、漬物の継承はしなかったので、敢無く、この伝統の味も消滅か(..)

それでも、潔く始末に取り組んだ姑さんに敬意を。
そして、長年働いてくれた樽と重石にも、ご苦労さんを。

腹立ちまぎれに処分するのではなく、感謝とともに葬ることができるのは有り難い。


さて、話を戻して、トークライブでの質問に。

ひとつは、家族や同居人、そう、他者へのアプローチは?
ふたつめ、捨てた後、困まったらどうしよう?
みっつめは、断捨離モチベーションが下がったら?

はい、断捨離の立ち位置は、常に【今、ここ、わたし】

質問に共通するのは、【今、ここ、わたし】に居ないがための杞憂。
言い換えれば、【今、ここ、わたし】にさえ居れば、なんら憂うことはなく。
さらに言い換えれば、それだけ【今、ここ、わたし】に居ることは、難しいことなのだろうね、わたしたちは!

意識や気持ちは、過去未来どこへでも、どこの場にでも飛んでいく。
そう、時空を駆け抜けるのが意識本来の性質であるならば、
今ここに繋ぎとめておくのが難儀なのは当たり前か。

だからこそ、今ここにある動かないわたしのモノたちの取捨選択で、
【今・ここ・わたし】に焦点を合わせるトレーニングが断捨離なんだね。

同居家族に断捨離をするように説得?

いえいえ、家族と言えども、わたしではない。
わたしから軸をずらすと、それは、説得に名を借りた介入という責めでしかない。
責められて気持ちの良い人など、誰もいないはず。

捨てた後、困ったらどうするのか?

捨てる前から、まだ起きてもいない「困った」を想定する癖。
困る事に焦点を合わせていたら、動きは止まる。
第一、困ることより、困らないことの方が圧倒的なはず。
何故なら、断捨離は、不要不適不快の取り除きの提案なのだから。
そしてもし捨てて困ったとしても、思った程大したお困りごとではないことに、
気がつくだろう。
モノは、命まで奪うことはありませんのでね(^^ゞ

モチベーションの低下もそう。
下がったら下がった時に、また、ネジを巻けばいい。
モチベーションなど、下がるのが自然なんだから。
だからこそ、その時その場で、創意工夫をする自分が生まれてくる。

過去や未来、他人に、エネルギーを漏らすこなく、
今、ここ、わたしに、持てるすべてをチャージするためのトレーニングを、
どうぞ、愉しまれますことを。

粛々と、淡々と、けれど、嬉々として。
これが、断捨離の極意かな(*^^)v