続・誕生日雑感 「前提と障害物」 | やましたひでこオフィシャルブログ「断捨離®」Powered by Ameba

続・誕生日雑感 「前提と障害物」

ごきげんさまです、断捨離のぽん♪です。

如月、二月、はい、寒さのぶり返し。
まだまだ寒くて当たり前なのに、なんかね、堪える。
節分、立春という文字が、頭に浮かんでいるからかしら。

でね、ぽん♪は、ストーブにへばり付いて、つらつらと慮るいつものパターン。

前の前の日記、「誕生日、雑感」
これに、岐阜の受講生さん、こまみみさんが、コメントを寄せてくれる。


・・・徐々にうちも断捨離が進み、それにつれて自分の心の中の混沌としたものも、
少しモヤが薄くなってきてる気がします。
無理せず、徐々に、やりたいです^^

今回の日記、最近自分の中で違和感を感じていたものを、
ズバリ言ってくださった感じがしてスッキリしました。

このごろ、命の大切さ、はかなさを思い知らされる話をよく耳にしていて、
「今」を大事にすること、相手じゃなく「自分」に軸を置くことの大切さを感じていました。
でも、そんな正論でも、全てじゃないんだということ。
自分が今ここに在ることは、確かに奇跡で、生んでくれたことに感謝しなければいけないのだけど、
生きることに苦しんでいる人にとって、それはどんなに辛いことか。

「親を見て子は育つ」と言われて責任を感じつつ、
自分の幼少時代を思い出して胸をかきむしられそうに痛く辛い。
「見本がないのに子どもはどうやって育つんですか」
その親自身が正しい見本を見てきたわけでもないのに。。。。

全ての命は繋がっていてる。でも全てが幸せに繋がっているわけではないんですよね。
だけど、いろいろと気づきを得て、確実に幸せに向かって生きている自分にありがとうと言いたいです。・・・


こまみみさん、コメント有難うございます。
でね、ぽん♪が、思うのは、「前提」の違いと「障害物」の大きさ。

たとえば、誕生日は、生んでくれた母への感謝の日・・・と、提唱する人は、
その前提は、母性の存在なのかなと。
一方、その前提に同意できない人、母性を見出せない親も、いくらもいる訳で。
前提の違いを、互いが認識できたら、不毛な論争無理解、余計な苦しさもなくなると思うのだけどね。

ただ、立っている位置が違うだけでね。
だから、推奨事項も、それぞれ異なるのが自然かな。

断捨離メソッドだって、モノ溢れの世界が前提。
モノのない時代や世界では、あらら、お門違いよ、と評されて当然しごく。

そして、仮に前提が同じとしたら、後は、個々人が持っている障害物の大きさ。
おのおの、途中で抱えたハンディが違う。
乗り越えて来たのが、峠なのか山なのか山脈なのか・・・
あるいは、同じ、溺れているにしても、遥か遠洋の海の底なのか、岸辺の浅瀬なのか。

こまみみさん、自分の幼少時代を思い出し胸を掻きむしられそうに痛く辛いのは、
きっときっと、立ちはだかる大きな山か、海の底での遭難体験だったのだろうと。

そして、力尽きることなく生還できた。
でもね、傷だらけ、体力気力も使い果たして、回復までに時間がかかるのは、当たり前。
軽症者と、一緒にされたら、たまりませんよね。

それでも、今、こまみみさんが、
「確実に幸せに向かって生きている自分に、有難う」と言いたいと思うのは、
それは、着実に回復に向かっている証拠かな。

もし、断捨離が、傷に貼る絆創膏としてではなく、
傷の回復のメカニズムそのものに、働きかけることができるのならば、
こまみみさんの言うとおり、無理せず、徐々に、ですね。

はい、それぞれのやり方とペースの断捨離が。

有難うございます。