「部分」即「全体」 | やましたひでこオフィシャルブログ「断捨離®」Powered by Ameba

「部分」即「全体」

お元気さまです、ラクシュミです♪

丁寧に優しく、しかもゆっくり息を吐きながら、
朝晩2回、もちもちの泡&泡で、顔を洗うようになって、ちょうど1ヶ月。

いや~、どんどん美しくなってきてますね~

あはは、これは不細工が治ったという意味ではありません。
くれぐれも誤解なきよう。
ただ、自分で自分を、以前より綺麗になったな~と、
思うことが多くなったと、まっこと気のせいレベルでの話。

この間、面倒で、サボりたくなったのは2回。
でも、なっただけで、実際はサボらなかった、、、偉いぞ!
不可抗力でサボったのは、1回かな。

なんでも、3日坊主のラクシュミ♪としては、上出来×上出来。

顔の皮膚が、そっくり入れ替わるのには、3ヶ月かかるとか。
このまま、続けていけば、
あれれ、これ以上綺麗になって、困るくらい・・・よね、うん。

とまあ、こんな余計な妄想を膨らませ、ひとり悦にいっているとは、
お目出度いのなんの。

いわば、顔という見える「部分」を、整えていくことが、
日々、地道に、ケアしていくことが、
見えない心の領域に、深くかかわっていくことを、あらためて経験できたのが、
とっても面白い。


「部分」即「全体」  「全体」即「部分」

部分は、そのまま、全体の縮図・・・という理解。
部分は、ひとつ欠けても、全体の機能はおぼつかない・・・という理解。
見える部分は、見えないメカニズム全体さえも、映し出す・・・という理解。

顔から、カラダ全体の情報が、読み取れる。
それどころか、顔から、見えない世界<心、気、運>までも、読み取れる。

そして、見える顔を整えることが、見える世界も整え、見えない世界も調える。

その部分は、顔でなくても、足の裏でも、テーブルの上でも、ガラス窓でも、
アプローチは、どこからでもいい。
身の回りにある全てのものは、自分の部分で、すなわち、自分全体だと、
理解できた時、気づいた時、
なにもかも、おろそかに、ぞんざいには扱えなくなる。


と、ここまで書いて、なんだかな・・・
はあ~、もどかしいな、うまく、表現できなくて!
ホントはね、文章ではなくて、話せたら、なんとか!

いやいや、私自身、潜在意識まで落とし込めていないから、
まだ無理があるんだろうな、これは!

ながながと日記に、お付合いさせてしまって、ごめんなさい。
そして、有難うございます。

今日のところは、お休みなさ~い。
顔を丁寧に洗って、寝ますね、うん、とても眠いのだけれど・・・