2度目の高野山② ~梵我一如 | やましたひでこオフィシャルブログ「断捨離®」Powered by Ameba

2度目の高野山② ~梵我一如

お元気さまです、ラクシュミ♪です。

高野山は、不思議なところ。

急な坂を、ゆっくりと上る鉄道。
終点からは、さらにケーブルカー、そしてバス。

こんな山深いところ・・・と、心細くなりかけたころ、
急に明るくなって、扉が開かれる。

険しい山の頂上は、平坦な拓けた台地。
その台地を囲むように、内八葉、外八葉と呼ばれる16の峰々。
そう、高野山そのものが、如来、菩薩の台座のごとく、
蓮の花が開いたような、蓮華坐のカタチ。

毎朝の勤行がある寺院の本堂も、実際、真っ暗でありながら、暗さがない!?
そうか、ご本尊は、遍く宇宙を照らす大日如来。
どうりで、明るいわけだ・・・と、勝手に納得したりして。

この地を、真言密教の修行の場とした空海。

空海の「即身成仏義」には、「六大無碍にして常に瑜伽なり」と・・・

そんな講義を、無量光院のご住職・土生川正道大僧正から、いただく。
<初体験の言葉が、いっぱい出てきましたわ・・・>

瑜伽<ゆか>とは、ヨガのこと。

ヨガとは、サンスクリット語で「結ぶ」。
聖なるものと、自分を結ぶ行法。

空海は、真言密教という瑜伽を、教え伝え開いた稀有な存在。

梵我一如・・・

梵、ブラフマン、私たちを生かしている一切の力、聖なる力。
我、アートマン、我、私たち。

梵我一如とは、聖なるものとの一体化。
真言密教、瑜伽、ヨガとは、そのための考え方、そのための行。

おお、かの空海も、開脚のポーズで股関節を刺激してたのかしらん!?
・・・と、一瞬、そんな映像が浮かんだりして。

そんなことは、ありませんわ・・・ねぇ。
あはは、それは、あたくしのレベルの話。

ヨガとは、結ぶ。
まずは、【自分】と【自分の身体】とを【結ぶ】ことからスタート。

ヨガとは、身体の言い分に、耳を傾ける心地よい作業。

そんなこんなを思いつつ、セミナー1日目、
宿坊の夜、ペタンコの薄い布団で、眠りにつきました・・・


つづきます。

龍村修・著「生き方としてのヨガ」~人文書院