居場所づくり5 パソリオと断捨離と 退行 | やましたひでこオフィシャルブログ「断捨離®」Powered by Ameba

居場所づくり5 パソリオと断捨離と 退行

おはようございます、ラクシュミです。


退行が、はじまったみたいな。


パソリオは、まるで小学校のお教室の雰囲気。
自分も小さな小学生に戻る。

そして、断捨離受講生さんのブログ。
◆断捨離(だんしゃり)したり、落ち込んじゃったり、ラジバンダリ◆
息切れ人生のアラフォーに、断捨離との出逢いが待っていた

居場所を必死に確保しようとしている、いたいけな女の子が、そこにいる。
この少女の居場所、それは心地良さを求めているのではなく、
生存のための、生き残るための居場所。
うっ、つい自分と重ねあわせたりしてね。

母とのバトル。
淋しかった小さな子が、今の私の口を借りて、自分への愛を訴える。
もっと素直に表現すれば、言い争いにはならないのにね。


サイコ・ダイビング・・・

際限の無い深海に、どんどんもぐっていくかのよう。
小さかったあの頃の感情が、噴出してくる。

いやはや

けれど今、子供ではない図太い大人の私。
で、気がついた。

親が子を、愛情の対象にするとはかぎらない。
親が子を、支配の対象にすることがある。

すべての親が、子への愛に、一番価値をおいているとはかぎらない。
一番の価値を、たとえばお金においている親だって、いくらでもいるだろう。


観念の断捨離。


子が、求める親の有り様を捨てた時、もっと楽になれるのかもしれない。
同時に、親の観念で、親の価値観で、自分を縛ることもない。

親のモノサシにあわなくて、評価されなくても、それはそれ。

褒められなくても、
認められなくても、
関心をもたれなくても、

それはそれ。

親だって、必死の自分の人生。
回りを見渡すゆとりがない時もあっただろう。

子も親も、それぞれの被害者でいることはない、うん。


そんなこんなを、つらつらと思いつつ、
雲間から足を滑らせ、目指す親の、隣の親に落っこちる自分が見える。

・・・退行催眠の光景ではなく、想像だけど^^;

あはは、母との出会いは、こうして始まったんだ。

「生んでくれて、有難う」を言う前の、
「失礼、間違えました、ごめんなさい。」のお詫びの挨拶がすまないままに、
生まれてきちゃったのね、きっと。

どうりで、チグハグしてたんだ、ずっと。


◆What's danshari ? Let's danshari ! Viva danshari ♪◆