子どもが欲しいのは、心配ではなく信頼 | 北林ちかこのブログ

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並木道を優しい風が通り抜けるように、自然体で生きたい

おはようございます。

 

今朝は慣れ親しんだ

我が家のダイニングテーブルにて。

 

9日ぶりに帰ってきました。

 

やっぱり家はいいねラブラブ

 

時々、外に出て行って、

未知の世界を楽しめるのも、

帰る所があればこそ。

 

出かける前に咲き誇っていた

ピンクのレオナルド・ダ・ヴィンチ。

 

 

留守の間に散ってしまうかなと

残念に思っていましたが、

終わり間際の艶姿で待っていてくれました。

 

 

こちらは遅咲きのジュブリーセレブレーション。

 

クレマチスの白万重。

 

鉢から移植したのですが、

うまく根付いたようです。

 

昨晩、新幹線で金沢駅に到着したのは夜の9時。

 

な、なんと、息子がお迎えに来てくれました。

 

免許取り立て2週間ほやほやです。

 

いや~~~、これまで散々送迎してきましたが、

ついに送迎してもらう側になりました。

 

この免許取得に関しては、

いろいろいろいろありまして…まったり

 

中国訪問記の途中ではありますが、

今日はそれを書きましょう。

 

 

息子が自動車学校に入学したのは、

昨年9月後半、大学の編入が決定した直後でした。

 

我が家から新しい学校までは、

バス→電車→バスと乗り継いで、

だいたい1時間15分。

 

できないこともありませんが、

我が家は金沢市でも山のほうにありまして、

バスの本数が少なく、

時間が制限され、なにかと不便です。

 

地方都市では車は必須。

 

将来、どこに住むかは分からないので、

前の学校に行っている頃から、

上級学年になって忙しくなる前に、

免許を取るよう促していましたが、

はいはい…と例のごとく聞く耳持たず。

 

まあ、東京にいる間は、

車に乗らなくても困らないので、

必要性を感じなかったのでしょう。

 

結局タイミングを逃して、今となりました。

ところが編入した学校は、

2週間ごとに試験があって忙しく、

部活に入ったこともあり、

なかなか教習所に行けません。

 

また本人の適当さ加減が災いして、

必須の科目を逃し、

足止めされること数回。

 

(Aの講義を受けないと、

Bの実技に進めない…というようなことを、

ちゃんと把握していない。

気付いた時には

月に2回しかないAの講義は終わっている。

次の予定があわずに、何週間もホールド泣き1

 

結局、のびのびになって、

昨年11月頃までに免許取得の予定が、

今年5月にずれこみました。

免許を取得したら、

いきなり独り立ちさせるのではなく、

最初の何回かは、

私が助手席に乗って、

練習させるつもりでいました。

 

娘の時もそうしましたし…。

 

ところが、免許センターに行く日程も、

寝坊した、勘違いした、間違えた…と、

変更に次ぐ変更で、

私が岐阜に行く日と重なってしまったのです。

 

息子は、免許をとったら、

すぐに乗って学校まで行くと息巻いています。

 

マジですか?

 

私が岐阜から帰るのを待つか、

せめてその日、父親が仕事から

帰ってくるのを、待つことはできないの?


通学するための免許なので、

彼用の中古車はすでに納車済み。

 

運転できない車を

ずっと横目で眺めて、

ウズウズしていたのでしょう。

 

待たせることはできそうもありません。

 

 

さて、ここからは私の問題です。

 

練習につきあうつもりでいた私は、

彼がいきなり一人で運転をすることに、

かなりの不安を覚えました。

 

つまり心配しちゃったんですね。

 

こすった、ちょっとぶつけた…というくらいは、

初心者マークにはありがちです。

 

だけど、他人をまきこむようなことがあれば、

たくさんの人の人生を変えてしまいます。

 

相手も自分も取り巻く人たちも…。

 

しっかり保険をかけておけばいいというものではありません。

 

大丈夫かな…。

 

岐阜に向かう車中で、何度も思いました。

 

その時、ふっと気づいたのです。

 

私は、彼がなにかやらかすことを前提に考えている…と。

 

自動車学校を卒業したということは、

全ての過程を終了し、

運転しても大丈夫というお墨付きがあるということ。

 

運転免許は、その証明。

 

初心者マークに、

周りのドライバーは温情をかけてくれるし、

金銭的には、どんな状況もカバーできる保険もかけた。

 

それなのに、心配でたまらない私。

 

 

私はどれだけ彼のことを信頼していないのだろう…。

 

23年間ずっと見てきた相手だけに、

足りない所、欠けている所に、

どうしても目がいきます。

 

普段、断捨離は加点法だと、

あれほど講義しているというのに…。

 

信頼するとは、

口で言うほど簡単ではないのかもしれません。

 

 

なにかあったらと思うと、とても怖い…。

 

でも信頼しよう。

 

これからずっと彼の行動すべてを

把握することはできないのだから…、

信頼して、天に任せよう。

 

おへそにキュッと力をいれて、

自分にそう言い聞かせました。

 

なにかあったら、

その時は、全力でサポートし、

責任もきっちり背負う覚悟をして、

今は彼を信頼しよう…と。

 

 

岐阜のホテルにいる時、

「無事に帰ってきたよ」と、

夫からLINEが入りました。

 

夫もきっと心配していたと思いますが、

私よりは、信頼の度合いが大きかったようです。

 

 

それから1週間後、息子の運転で、

義母のお見舞いのため、富山に行きました。

 

高速を使ったのですが、

彼はとても慎重で、注意深く、

スピードも抑え気味で、

なかなかの優良ドライバーぶりでした。

 

心配は人を縮こまらせるけど、

信頼は人を育てるなぁ…と思った次第です。

 

もう忘れてしまいましたが、

私が若い頃もきっと、

親から心配されれば鬱陶しく、

信頼されれば、嬉しく思っていたはず。

 

信頼することは、

心配することよりもずっと難しい…。

 

でも、貴方は大丈夫、

ちゃんとできるよ…と信頼して、

子どもをある意味手放して、

心配の鎖から解放することは、

健全な親子関係の第一歩かもしれません。

 

 

とりあえず私は、

この子はなにかやらかす…という前提を断捨離し、

信頼することを学ばねばね。

 

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