小雨がぱらつく昼下がり、
セミの声がにぎやかです。
カサブランカの一群が咲き終わって、
我が家の庭は休眠状態。
お花はなくて、緑一色です。
これだけ暑いので、
それも仕方ありませんが、
バラの姿がないのは寂しい限り。
バラは手がかかる植物ですが、
やはり咲いた時の喜びはなにものにも代えがたく、
だんだんガーデニング熱が冷めてきたにも関わらず、
お世話をやめられません。
でも調子に乗って増やしすぎると、
自分の時間・空間・エネルギーでは管理できない量となり、
結局、どれもこれも中途半端になります。
このあたりは、モノと同じですね。
好きなモノでも、量が多過ぎると、
お気に入りとして扱えなくなります。
これまでも、ちょっと多い…と感じたら、
心を鬼にして断捨離してきましたが、
そういう辛いことをしなくてもよいように、
鉢数のコントロールには気をつけています。
だけど元々好きなので、
情が勝ることもあります。
これは“プレイガール”。
我が家の庭では、珍しい一重咲き。
購入してから10年くらいですが、
色がけっこう毒々しいので、
お気に入りではありませんでした。(^^ゞ
次に断捨離するとしたら、プレイガール。
…そう想い続けて幾星霜。
でも、いつも断捨離の網をくぐり抜けます。
なぜって?
いや~~、実によく咲くんですよ。
春先から初冬まで、
繰り返し情熱的なピンクの花を咲かせます。
こんなに頑張るバラは、そういません。
私の下手くそな剪定で、樹形が乱れても、
新たな枝をどんどん伸ばします。
冷たくあしらっても、無視しても、
凹むことなく、いつも元気で前向き。
そんなプレイガールに、いつしか情がわきました。
さほど注目しているわけでもなく、
あら…そう言えばいたのね…程度の存在感。
だけど、ずっとそばに置いていたら、
いつの間にか、愛着が生まれる。
住まいには、そんなモノも、確かにありますよね?
使う頻度が少なくても、
愛を感じているのであれば、
縁が切れたわけではありません。
ほんの時々でも、思い出しては、
使ってみたり、手入れをしたり。
その都度、どうしようかな…と考えてみて、
やっぱり手放さない。
忘却の彼方にあるのではなく、
そうやって意識しているのであれば、
その関係性は希薄ではあっても、まだ生きているのでしょう。
本当に縁が切れたら、
きっと自然に手放そう…と思うようになります。
だって、私たちダンシャリアンは、
モノの取捨選択を通して、
日々、トレーニングを積み、
内在智センサーを磨いているのですから、
その時がきたら、ちゃんと反応します。
…ということで、
今年も元気なプレイガールは、
あの猛暑の中、二番花を派手に咲かせてくれました。
バラには、被害者意識なんてないのでしょうね。
人間なら、すぐに文句を言いそうです。
「こんなに頑張っているのに、
どうして認めてくれないの?」
「どうして私だけ?」
なんて健気な…。
あら、…なんだか急に可愛く思えてきました。(^^;
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