完璧主義のよろい | 北林ちかこのブログ

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並木道を優しい風が通り抜けるように、自然体で生きたい

おはようございます。

3連休ですね。

いつもの週末より、1日だけ休みが多い…、

沢山時間があるようで、初日はワクワクします。

私の場合、
あれもしよう、これもしよう…と欲張って考えますが、
たいていあっと言う間に最終日の夜になって、
え~~~っ、あれもこれもできなかった(>_<)…と
がっかりするのが常です。

たっぷり時間があると思うと、
まだ大丈夫、後でやればいいと、
ついつい油断してしまうんですね。

でも今回は、 
やらなければいけないこと、
もとい、やりたいことは、
先送りしないで、今日から取り組みます!



先日、あるダンシャリアンさんとお会いしました。

ちょっと相談を受けたのですが、
断捨離から始まって、子育ての話になりました。


改めて思ったのは、
母親というのは、なんて責任の重い仕事なんだろう…ということ。

誰にとっても、お母さんは、特別の存在です。

それはそうですよね。

それだけの深い関わりがあるのですから。

生まれたばかりの赤ちゃんは、

その存在の全てを母親に依存します。

3時間置きの授乳、オムツ換え、沐浴…、
この時期のお母さん方の大きな望みは、
1日でいいから6時間連続で眠りたい!…です。

そんな生存の条件さえも削って、赤ちゃんを育てます。

少し大きくなると、
手に触れるモノは、何でも口に入れるようになるので、
片時も目を離せません。

後追いもひどくなり、
トイレに行くのも一苦労です。

やがて第一次反抗期。

「いや、いや、いや!」の連続で、
着替えひとつにも、ものすご~~く時間がかかります。

ただでさえ忙しい時に、
じっと子どもを待つのは、修行にも等しい行為です。

入園すれば、毎朝、別れ際に、
「ママ~~あせる」と世の終わりのような声で泣き叫びます。

ピカピカの1年生になり、

やっと一息…と思いきや、
朝起きない、宿題しない、学校で喧嘩した、
部屋を片づけない、お金をちょろまかした…etc.

そして中学生、魔の第二次反抗期がやってきます。

四苦八苦しながら乗り越えて高校へ。

個人差はありますが、
だいたい18歳くらいから、親元を離れます。

まるで1人で大きくなったような顔をして…。


母親は子どもが生まれた瞬間から、
母親として歩きだします。

初めてのことだらけの手探り状態。

本を読んだり、子育ての先輩に聞いたり、
専門家の意見を求めたり、
分からないなりに、その時々で一生懸命です。

だけど初心者ですから、うまくできないこともあります。

試行錯誤して、失敗もしながら、
少しずつ学び、母親として成長していくのです。

でも子どもに、親のそんな事情はわかりません。

特に長子は、
ほかの兄弟よりも、自分は厳しくされた、
不公平だ、
自分だけ愛されていないと思いがち。

時には、それを口に出して、

親を責め立てます。

親のほうは、悪気があったわけではないけれど、
確かに自分の未熟さがあったことは事実なので、
申し訳ないと思い、罪悪感を募らせます。


子は愛されていないと思い、
親はゴメンネ…と思っている。


どこかで断ち切らないと、
永遠にマイナスのスパイラルです。



かつて私は完璧主義者でした。

全てにおいて白黒をつけ、
中間やグレーはありえません。

自分にも厳しかったけれど、

他人にも同じことを要求しました。

もちろん我が子にも。


いつだって目標は100%の全力投球


50や80なら、やらないほうがまし。

そんな価値観を押し付けられて、
子どもたちは、しんどかったと思います。


気づいていませんでしたが、
自分もしんどかった…。


断捨離を知って、
まずパーフェクショニストの看板を下ろしました。

ロボットやコンピューターじゃない、

人間なんだから、
完璧を自分の存在意義にするのは馬鹿げています。

一気にはできませんでしたが、
少しずつ、制限を外していきました。

何重にもびっしり張り付いていた、
こうあらねばならない…という思い込みや観念。

私が望んで選択したものではなく、

親や社会から押し付けられたものがほとんどでした。


いったん制限を外すと、

なんでこんなモノに自分は縛られていたのだろう…と
不思議に思えます。

封じ込めていた自分の気持ち、

何が好きで、何をやりたいと思っていて、

どんな時に嬉しいと感じるのか、
…そんなことが、少しずつ見えてきました。

自分の気持ちを大切にすると、
全てがユルユルになっていきます。

パーフェクトではない、でも、それが心地いい。


私の変化は、子どもにも分かるようです。

帰省して久々に会った息子との関係が、

とても心地よいものに思えました。

緊張感がなく、双方がリラックスした状態。

すべてを丸ごと、愛の心で、受け入れられます。

親元を離れて息子が成長したこともありますが、
私が変化したことが、

お互いが心を開く、大きな要因だったことは間違いありません。



断捨離は、ただのお片づけ術ではありません。

モノを通して思考を整理し、
自分の囚われの原因、悩みの原因を見つけ出して、手放します。

モノの片づけの次に何があるのか・・・、
このDVD&CDボックスがお役に立つかもしれません。


断捨離マラソンfrom金沢


実は・・・、昨晩、『聖域』キープはできませんでした。

ちょっと横になるつもりが、朝まで爆睡してしまって・・・(^^ゞ

完璧主義の私だったら、
きっと激しく凹んで、
信頼貯金なんてやめる!…と言い出していたかも。

でも、まあ、こんなこともあるよね・・・と、

あくまでユルユルしている自分が、けっこう好きです。




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