ご訪問くださりありがとうございます
今朝は
グーグルさんが私に
道元禅師の歌を紹介してくれました。
春は花
夏ほととぎす
秋は月
冬雪冴えて
冷(すず)しかりけり
やましたひでこ公認断捨離®トレーナー
高橋弘枝と申します。
ん~
聞いたことはあるような?
四季の美しさを詠んだ歌だっけ?
ちょっと気になったので調べてみると
単に四季の美しさを詠んでいるのではなかった。
日本の四季は美しいものです。
この四季の移り変わりを愛で、四季それぞれの美しさを詠んだのが、この「本来の面目」と題された道元禅師の歌です。
禅は”今生きているこの時”を見つめます。
昨日でもなく、明日でもなく、今自分が生きている刻々と移りゆく”今この時”。
移ろいゆく時間と、そして周りの世界。
これらと自分を対峙させる。
この対峙が禅です。
時は流れゆきます。
周りの世界も時と共に移ろいゆく。
そして、そこに生きている自分。
じっと見つめ、捉まえようとしても、時はするすると逃げていってしまいます。
禅師様だったでしょうか、”今(いま)”について、”ま”と言った時”い”はすでに無し。
と言っておられましたが、まさにそのとおりだと思います。
時の流れを捉まえることはできません。
一瞬たりとも時の流れの止まることはない。
ではどうするのか?
捉まえられない時の流れを、どうとらえたらいいのか?
実は、捉まえる必要はないのです。
捉まえなくても、私達は元々時の流れの中に生きているのですから。
周りの世界も同じ。
自分と周りの世界が別々にあるのではありません。
世界の一部が自分なのです。
自他一如ということ。
春は花
夏ほととぎす
秋は月
冬雪さえて
涼しかりけり
春は花と共に
夏はほととぎすと共に
秋は月と共に
冬は雪と共に
観る者と、観られるものが一体となった透き通った世界がここにあります。
禅は最終的に対峙から自他一如の世界に通じています。
常仙寺さんホームページより一部抜粋
一見すると四季の美しさを詩っているだけのように思えますが、禅師はこの詩に禅の境涯を表現されております。
「本来の面目」という副題がついておりますが、つまりは「あるがままの自分」ということ。
目に映る景色そのものが自分自身のありようであり、自分自身が移り変わる景色の一部であると詠っているわけです。
これが道元禅師の悟り。
検校庵さんホームページより一部抜粋
あっちにもこっちにも
断捨離提唱者やましたひでこに
教わった言葉が並んでいる。
やましたひでこが
長い年月をかけ
育て
磨きあげ
断捨離を構築してきた。
その事実を
道元禅師の歌の解説からも
伺い知ることができる。
先人の哲学や
日本人の知恵・感性、
そういったものの集大成、
それが断捨離。
恐るべし断捨離。
その奥深さは
どんどん深まるばかり。
ニューヨークタイムズの一面に
ガザの停戦と断捨離の記事が並ぶ。
これは
単なる偶然ではなく
必然のように思えてならないのは
きっと私だけではないでしょう。
全ては ひとつ。
自他一如。
無対立の世界が本当の平和な世界。
断捨離提唱者やましたひでこの願い。
断捨離 万歳!!

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