「コロナ断捨離」という言葉が生まれたのは、
去年のゴールデンウイークの頃だったでしょうか
ごきげんさまです
お越しくださりありがとうございます
外出自粛期間を利用して、普段できない大掃除をしたお宅、多かったようですね
私の住む気仙沼でも、家族で大掃除をしたお宅、多かったようです
ゴミ集積場は普段の2~3倍の大量家庭ごみで溢れていました
ゴミ集積場が普段の2~3倍の大量家庭ごみで溢れている、ということは、必然的にゴミ収集車の往復回数も普段より2~3倍多くなるわけです
でも、当時のゴミ清掃員の方々が大変だったのは、ゴミの量より中身だったのではないでしょうか
新型コロナウイルスが、まだ得体の知れないウイルスだったこの時期、人々は「死」と向かい合う大きな恐怖心を募らせていました。
当時、ゴミ集積場で、ぎゅうぎゅうに圧縮したゴミをパンパンになるまで押し込んでいるゴミ袋や、ゴミ袋に無造作に突っ込まれたマスクや鼻をかんだであろうティッシュを目にすると、ゴミ清掃員の方々のご苦労には本当に頭が下がりました。
恐怖の中での作業だったに違いありません。
そこで、当時購入したのがこの本。
コロナ禍でのゴミの出し方だけではなく、ゴミのことを深く考える事例がたくさん掲載されていました
コロナ禍という状況の中で、私たちは「日常」の大切さを知りました
ゴミ清掃の仕事は、まさに私たちの日常を支えてくれている仕事なんだと改めて考えさせられました
そして、やましたひでこ先生の言葉を私は間違って解釈していたことにも気づきました
「ゴミも美しく」
「ゴミ袋に入れる量は8割まで」
この言葉の意味を私は、
「ゴミも美しく」「自分の家の空間が美しくあるため」
「ゴミ袋に入れる量は8割まで」「自分が持ちやすくするため」
だと思っていました。
確かに、これもありでしょうが、今の私の(まだまだ発展途上の)解釈力で考えられるのは、「家から出した後のことのため」のように思うのです。
「自分の家の空間が美しくあるため」だけではなく、
「ゴミ集積所の空間が美しくあるため」であり、
「自分が持ちやすくするため」だけではなく、
「ゴミ清掃員の方々が持ちやすくするため」であり、
パンパンにゴミが詰まったゴミ袋が破れて「集積所が散らからないようにするため」であり、
ゴミ袋が破れて散らかったゴミを「ゴミ清掃員の方々が拾い集めなくて済むようにするため」なのではないか、
と考えるようになりました。
これまでの私の考え方は自分の範囲内のことしか考えていなくて、
「自分勝手軸だったなあ~」
「俯瞰できていなかった」と反省しました。
お恥ずかしい
「断捨離」は、ただの片付けにあらず
そして、自分勝手軸では断捨離にあらず
あ~断捨離の世界は深くて難解
「断捨離しています!」と自信を持って言えるように、
今はひたすら実践あるのみ
余談ですが、先程ご紹介した本の中に、こんなことも書いてありました。
*下線部は引用です
お金持ちは昔から(バブルの頃も)ゴミが少ない
きちんと欲しい物を手に入れてるから雑に捨てないんだ!だからゴミが少ない
お金持ちのゴミは「自分の認めたもの以外には1円もお金を払う気がない」という哲学が見えてきた
自分の推測があっているかはわからないけど楽しそうだからお金持ちの哲学マネしてみよっと
明日があなたにとって素敵な一日になりますようにおやすみなさい
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拙い文章をお読みいただきありがとうございました