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国家論

①プラトンーーイデア論、アカデメイア、衆愚政治の中の哲人王思想


イデア界にある厳密で完璧な線、究極で理想の三角形、そのイデアという存在、あらゆる概念の究極の形。

プラトンにとって王は、イデアを知ることのできる哲学者でなければならず、もしくは王は哲学を学ばなければならないと言った。これを哲人王思想と呼ぶ。

プラトンは、ソクラテスの死刑により、古代ギリシャ民主主義の政治体制を超えるものを作らなければならないと哲人王思想に行きついた。衆愚政治の起きていた古代ギリシャ民主主義の中でソクラテスは殺された。

アカデメイアは、哲人王を作る為の教育機関として設立される。共産主義体制に似た国家運営方法の中で哲人王も贅沢な暮らしをせず、彼らは理想を追い求める求道者として哲人王を目指していた。要はエリート政治


②アリストテレス、論理学、イデアの否定と観察、分類される国家とその腐敗と革命の連鎖


アカデメイアの元生徒、イデアの有無の真実とそれの確かめ方、そもそもなんの役に立つの? とか言い出した。

馬のイデアを仲介して馬だ、と思うのではなくて、馬固有の特徴を観察、整理して我々は馬だというわけで「無意味に物事を二倍に増やしただけ」というアリストテレスは特徴を只々観察した。

その観察は天文、気象、動物、植物、地球あらゆるものに向かい、体系だて分類し整理した。万学の祖としての観察。イルカを哺乳類と言ったのもアリストテレスが最初。


イデアを否定したアリストテレスは政治体制をまずは君主制、貴族制、民主制と分類しその腐敗後、最悪のケースをも想定した。君主は独裁、貴族は寡頭、民主は衆愚、と。
そしてアリストテレスは、その腐敗後には必ず、革命が起こり、制度が変わり、腐敗が起こり英雄が生まれるを繰り返すと政治体制そのものを分類学し俯瞰した。

プラトンは天を指す、アリストテレスは地上に手をかざすラファエロの絵はそういうこと


③ホッブズ 社会契約説 人間は他者にとって狼に過ぎない 権力の必要性。他人を殺す自由。


どうしてプラトンもアリストテレスも「支配者」を前提とするのか?という前提に眼差しを向ける。どうして国家は支配者がいる形式で成立するのか?

ホッブズは、自然状態での闘争を仮定し、それに終止符を打つために「架空の支配者」を作り国家の仕組みを形成させたと考える。彼にとっての国家とは、自己中が互いに殺しあわないように、自己保存のために作ったもの。

当時の国家とは、神、もしくは代理人の教皇が誰かしらを王と承認し統治の権限を与えることで成立するものだった。王は神に由来するものという幻想、常識があった。

しかし、16世紀頃、カトリックとプロテスタントによる利権争いの80年戦争、30年戦争などの宗教戦争があり、その神ー王に対する懐疑がたまっていた。

絶対的な強者=王(国家)を想定することで民衆は「他人を殺す自由」を放棄し、その放棄により安全を得る。

リヴァイアサンとは聖書における怪物であり恐怖の象徴。彼が書いた国家論は過去に神の名で行われてきたことに合理的な説明を与えた。なぜそれでも戦争がなされ殺人が起こるのか、それは「真のリヴァイアサン」がまだいないだけである。


④ルソー 人民主権

18世紀フランス、2%の特権階級が、貧困に喘ぐ98%の民衆から税金を徴収し悠々自適な生活をしていた。それにおいて、王に従わぬものを平和を乱す者として死刑するのは健全だろうか?

ルソーはホッブズの想定した自然状態を否定する。人間は平和だ。知恵を持った少数が搾取のシステムを覚えてしまったのが駄目だ、と。

ルソーの考え方からすれば、民衆は国家なしでも生きていけるが、国家は民衆なしでは生きていけないものとなる、税金が無ければ国家はないが、自然状態を平和とするルソーにおいて国家は不要となる。これにおいて、真の権力者は民衆と宣言する。

読まれまくったルソーの社会契約論。民衆たちはフランス革命を起こす。贅沢三昧のマリーアントワネットとルイ16世を捕まえギロチンで公開死刑。民衆による革命。国家は公共の利益が第一の、民衆のための機関であるという信念により結んだ革命。

しかし、全ての男子の選挙権を与えるという民主的な改革はあったのだが、実権を持つ人間たちは派閥争いを始め、内乱、他国の侵略でボロボロになる。そこでナポレオンが現れ革命を起こし、国家はまとまると共にナポレオンを皇帝とした政治体制が繰り返される。


⑤アダムスミス 見えざる手と国富論、市場原理主義

特権階級の贅沢が終わりルソーの人民主権後、国家の経済に目が向けられる。その経済学の父、イギリス哲学者アダムスミス。

金銭に対する利己的な欲望が経済の原動力だ、と経済そのものを捉えた。西洋のキリスト教圏において利己心は基本は悪であった時代で、金持ちは天国に行けず、東洋においても士農工商(孔子の儒教から)と商い蔑視が存在していた。個人の商が富を持つと権力を脅かしかねない。金持ちの商が増えるとみんなそれを目指し、農を誰もやらなくなる。とかそんな理由で。

アダムスミスは金儲けが全体の幸せに繋がると主張した。個人が利己的に利益を追求しても必ず見えざる手に導かれ社会全体の利益につながる。競争の原理の中で収まるところに収まるよ、と言う。

18世紀初頭の産業革命の始まりと同じ時期のこの主張は広く受け入れられ、現在の資本主義経済の形に繋がる。



⑥ マルクス 共産主義


アダムスミスの資本主義経済原理とそれによって豊かになった社会に対しマルクスは、それは皆を不幸にし、必ず破綻する、と結論した。資本家が労働者を搾取する不公平なシステム、が批判の要点。つまり、労働者が働いて生み出した富は誰のものか?ということ。

資本家同士の競争で労働者が割を食う、価格競争から利潤が減った分は労働者の賃金から奪う。資本家同士の競争はアダムスミスの見えざる手の明確な批判である。

それは市場に響き、それがまた企業の利潤を低下させるという悪循環。その中で弱者階級が最初に割を食う。資本主義はブルジョアジーとプロレタリアートという新しい身分社会を作り出した。いずれ労働者革命が起きるだろうと資本主義の終焉を予言。

資本主義終焉後のかくあるべき国家として提案したのが共産主義。とにかく、財産の共有。国家が私的財産を奪い管理し分配する事で平等が起こる。レーニンもスターリンもソ連で失敗している。

失敗の原因として、平等は無くやはり官僚の貴族政治だった。特権階級は無くならず平等社会も作れず、秘密警察による恐怖政治。さらに、頑張っても頑張らなくても一緒なら頑張りませんよという事になったので経済状況はどんどん悪くなった。

資本主義は適者生存の最適化(潰れたベンチャーは適者生存出来なかったということ)が行われるが、共産主義は必要性では無く、設ける為に便利さを追求したりもしないため、ダラダラとした経営が続いた。