ノート -4ページ目

ノート

ブログの説明を入力します。




消費経済は「成長を続けなければならない」という宿命を背負っている。新しいものを作らないという選択は、その企業に携わる下請け孫請け町工場など全てに影響する。それはある意味で、本来必要のない製品とも言える。

資本主義のおかげで我々は、もう十分なほど豊かになったのではないか? システムを維持するための労働がそこにある、ある意味で主従関係は逆転しているし、金銭の必要のない娯楽も増えた。

ニート、低所得アルバイト、そういった若者たちは労働と消費の快楽に重要性を持たない、労働の価値を見失った新しい歴史的な問題の渦中にいる、現代の必然的な人種である。

国家はその労働に対して何もしないという立場を表明している。アダムスミスの自由主義に新をつけた、新自由主義という立場。

自由主義ののちに世界恐慌が起こり、各国は市場をコントロールする方向に傾いた。それによって公共事業が破綻し、国が借金をしまくるとかいうことも増えた。そこから、新自由主義が始まる。

構造改革の規制緩和、それは民間を制限する法律を撤廃し、自由な商売の為の法律に変えるということ。それはアダムスミスの見えざる手を信じていると言える。

また、小さな政府、それによる郵政民営化などは、かつて行政サービスとして行ってきた公共事業を民間の自由にやらせること。だから、国家は何もしないのだ、何もせず、自由に競争をさせる。それにより勝ち組負け組は出てきて当然で、痛みを伴う構造改革の痛みとしての弱者階級が生まれて当たり前である。

現代の最先端、現代の病理、現代の象徴とは、ニート、ワープア、負け組、低所得アルバイト、過剰労働の鬱病患者であり、前代の国家主義によって排出された膿としての彼らこそが同時に、新しい価値でもある。