2023年4月5日

 

丸亀市塩飽本島町笠島(しわくほんじまちょうかさしま)重要伝統的建造物群保存地区

笠島地区は、本島の北東部に位置する小さな港町で、北に天 然の良港が開け、三方は丘陵に囲まれている。集落内には狭い通路が網の目のように通り、このうち集落の東寄りを南北に走る東小路と、これに直行して弓なりに通るマッチョ通りに面して、本瓦葺で上階を塗屋とし虫籠窓や格子窓を設け、下階は 腰格子付き雨戸構えと出格子・窓格子を組み合わせた表構えを特徴とする町屋形式の建物が立ち並び、歴史的な町並みを形成している。これらの建物には虫籠窓や持ちおくり、格子等随所に塩飽大工の工夫が見受けられる。

 

塩飽勤番所 塩飽諸島の旧政庁。現在では塩飽水軍の歴史を展示した資料館。

塩飽諸島の中心地である本島の笠島は、戦国時代までは塩飽水軍の本拠地で、江戸時代には水運の要所として栄え、廻船問屋を中心に町並みが形成されました。

江戸時代初期まで繁栄していたが同業者の乱立により次第に衰え、1720年代に幕府からの命で廻船問屋と船舶を大阪の廻船業者に譲ることになります。

その後笠島の人々は船舶建造の技術を生かし、家の大工「塩飽大工」として日本各地で活躍しました。

彼ら塩飽大工は、年に数回笠島に戻る度に家屋を手入れしました。

そのため江戸時代の町並みがほぼ完全な形で保たれることとなったのです。

江戸時代中期から明治にかけた町屋形式の家が並んでいます。

道は緩やかに傾斜し、丁字型、食い違い十字型に交わり、一部の道幅を変え、見通しできぬような組織的な構成がとられている港町です。

吉田邸には、テレビ東京の「なんでも鑑定団」で鑑定された江戸時代の画家、伊藤若冲(1716〜1800年)が鶏を描いた墨画の掛け軸が残されています。

笠島港

遠くに見えるのは瀬戸大橋です。

 

フェリーは丸亀港から30分で本島泊港に着きました。

瀬戸大橋の中程、西側にある島です。その島の北東部に笠島地区があります。

狭い地区の中に情緒あふれる町並みが残されていました。

 

 

重要伝統的建造物群保存地区とは

昭和50年の文化財保護法の改正によって伝統的建造物群の制度が発足し、城下町、宿場町、門前町など全国各地に残る歴史的な集落・町並みの保存が図られるようになったものです。
市町村が都市計画または条例により「伝統的建造物群保存地区」を定め、文部科学大臣が市町村の申し出に基づき「選定」を行うこととされています。
この制度は、文化財としての建造物を「点」(単体)ではなく「面」(群)で保存しようとするもので、保存地区内では社寺、民家、蔵などの「建造物」だけでなく、門、土塀、石垣、水路などの「工作物」、庭園、生垣、樹木などの「環境物件」を特定し保存措置を図っています。