私が、この都市の名を初めて耳にしたのは昭和21年、旧制高校二年生のドイツ語の授業で、「ドイツには、フランクフルトという名の街が2つある。フランクフルト アム マインと、フランクフルト アン デア オーダーである。フランクフルトとは、船着場、浅瀬の意味、つまり オーダー川の船着場」と聞いたときである。(注)
また、当時、口伝えに覚えた明治時代の軍歌「ポーランド懐古」の一節に

 

 寂しき里にいでたれば  ここは   何処とたずねしに
           聞くも哀れやその昔     滅ぼされたるポーランド

 

がある。明治25年(1892年)、駐在武官としてベルリンに赴任していた福島安正少佐は、帰国に際し、ベルリンから、単騎(馬橇?)で、シベリアを横断し調査を行った。これは1年4ヶ月に及んだ、その苦難の道中を描いた国文学者 落合直文の連詩の一節である。
私は口ずさむ度に、この都市の名を思い出していたが、初めて訪ねたのは、平成8年12月である。この年の夏、妻は30数年前に切除した乳がんの再発で、3年間の闘病の末、他界していた。
治ったら、ドイツのクリスマス市を見に行こうと話し合っていたこともあって、独り立ちの契機とすべく、ベルリンを訪れた。
初冬の季節、小雪の舞う街には、早や、クリスマスの飾りつけが始まっていて、人影はまばらながら、メリーゴーラウンドも動いていた。日本人向けの土産物店「きむらや」の近くで、現地ガイドをしている日本人女性に声をかけられた。案内している日本人団体客の一人と間違えられたからで、旦那さんはDB(ドイツ鉄道)バスの運転手、明日は二人とも仕事がないから、行きたい処があれば案内するという。私は、ためらうことなく、この街の名を口にした。

この街は、ベルリンの中心部から車で2時間ほどである。その時のメモには、彼女の話として、「東西分断の時代、東ドイツの街は荒れ果てていたが、復興税を設けてインフラを整備し、戦火で破壊されたままであった建物を再建したので、街は昔の姿を取り戻したが、働く場所はなく、職を求めて旧西ドイツに出て行く。この街も、その一つで、人口は、かっての半分の8万。 失業率は25%だが、最低生活は、失業手当その他で保障されているので、路上生活者はいない」とある。

 

 

オーダー川を渡ると、そこはポーランド。しかし、ある時期から第二次世界大戦終了時まではドイツ領で、敗戦でポーランドに割譲されるという、歴史に翻弄されてきた土地である。地名はスウビッエ(Stubice)。レストランでのメニューは、当然のことながら、ポーランド語。選んだ田舎料理は、スープ、サラダ、肉料理、パンとコーヒーで1200円程度であった。当時、国民ひとり当たりのGDP はドイツの1/5以下と、かなり貧しく、治安も良くなく、ドイツで自動車が盗まれたらポーランドで探せば見つかると、揶揄されているとも聞いた。
 .橋上では、買い物袋を提げてドイツ側に戻ってくる人とすれ違う。通貨も言葉も異なるのは当然だが、EU加盟国なので往来は自由。ただ安い煙草を、ドイツから大量に買い付けに来るのを防ぐために、橋のドイツ側のたもとに検問所が設けてあった。

この街唯一の高層ビル「オーダー ツルム」の最上階(25F)のレストランから眼下に広がる街の佇まいは、息をのむ美しさである。
 
案内してくれた男性は旧東ドイツ出身だそうで、「壁のあった時代には戻りたくはない、でも、あの頃が懐かしい」という、典型的なオスタルギー<ノスタルジーをもじって東(オスト)に対する郷愁>の持ち主なのか、帰途に連れて行かれたところは、第二次世界大戦の末期、ソ連軍がベルリン攻略の際に基地にしたところで、ソ連の兵士が独軍の戦車を踏みつけている像や、ソ連の兵器が展示してある。
ソ連軍がベルリン市民に、いかに暴虐の限りを尽くしたかは、記録を読んでいて、思わず本を閉じたくなるほどなのに、いまだに それらを撤去出来ないのは、ドイツのおかれている状況を象徴しているのかどうか、問いかけることは出来ても、先方の話は聞き取れない。メモの最後に、「八十の手習いは 日暮れて道なお遠しの思いだけが残った5日間の旅」と書いてあるが、それから8年経っても、言いたいことは口に出来ても、聞き取る力は無い。

ベルリン中央駅から普通列車で2時間ほどのこの街を、私は、その後二度訪ねている。
ベルリン発のワルシャワ行きは、すべてこの街を通り、現在は日に8本も。他に30分~1時間間隔で普通列車がベルリンとの間を結んでいる。
日本ならば、観光案内所は駅前にあるが、ここは、駅から私の足で20分ほどの処にある。この街に限らず駅から離れて案内所がある街は少なくない。(ドレスデン 0.3km
トリア 1km )。なお、旧東ドイツ地域は街が整備され物価も安いので、年金生活に入った老夫婦が移り住んでくる例も多くなったと、テレビで紹介するのを聞いたことがある。EUで経済的には、ひとり勝ちを続けている国である。いまは少しは活気のある街になっているかも知れない。


注)これは私の記憶違いで、正しくはフランク族の使っていた船着き場らしい。