ベルリン中央駅から2時間10分ほど、ICE(日本の新幹線に相当)がゲッチンゲン駅にゆっくりと入ってゆくと、駅名の表示板と並んで、Die Stadt Wissenschaft の文字が目に入る。自ら<学問の街>と名乗るほどに、この街が、大学と共に歩んできたことに誇りを抱いていることが読み取れ、身の引き締まる思いにおそわれる。
ゲッチンゲン大学には、日本から多くの学者が留学している。明治末期、東北帝国大学理科大学(現東北大学理学部)の開設の際の教授就任予定者がドイツ、英国に留学したが、その多くがここで学んだと聞いている。本多光太郎博士(金属物理学の世界的第一人者)もそのひとりであった。それだからか、その頃から杜の都仙台は日本の<月沈原>と呼ばれていたらしい。
第二次世界大戦では、英国はゲッチンゲンに、ドイツはケンブリッジに敬意をいだき、空襲をしないとの話し合いがなされていたというが、真偽のほどは分からない。
1日券を買い、学生達が待つバスに乗り込む。停まるごとに学生は降りてゆき、樹木の生い茂る山間を走るころ、乗客は私ひとりだけになった。木立の間に研究棟らしき建物が見え隠れし、それは仙台の青葉山キャンパスを思わせるが、それとは比べものにならないほど広大である。終点は、さらに先きの森の中。バスが折り返すのは30分後とのことで、ゆるやかな下り道を、歩いて戻ることにする。風は爽やか、小鳥の囀りも聞こえてきて、まさにハイネの詩によるシューマンの<詩人の恋>
麗しの五月 すべての鳥が うたうとき
私は 彼女に 憧れと想いを打ち明けた
の世界である。
車は通らず人影も見えず、休もうにもベンチもない。右手は見渡す限り潅木が生い茂り、左手の森の奥には大学の施設があるのであろうが、建物は見えない。先ほどのバスが、無情にも猛スピードで追い抜いてゆく。
やっと辿りついた麓のバス停で、老婦人が時計を見て、私が尋ねもしないのに、3分で来ると教えてくれる。親切なのかお節介なのか、何れにせよ、こちらから聞くのは億劫なので、私は助かる。定刻にバスはきた。大学病院前で下車し、木陰のベンチで休んでいると、気品のある中年の婦人が話しかけてきた。
日本から来たと告げると、何をしに?と、お定まりの問いかけとなる。
「家内は4年前に亡くなったが、まだ元気だった2005年に、初めての個人旅行でドイツに来た。その思い出の地を巡り、家内を偲ぶのが、旅の目的」と答えるが、この病院で亡くなったのかと聞き返してくる。その思い違いを訂正すると、話題を変えて、「日本では、気候変動の影響は、最近どうなっているか?
ドイツでは四季の区別が、はっきりしなくなった」と、難しい質問をしてくる。
「日本では、昔から四季ではなく、五季がある。つまり、春と夏の間に、短い期間だが、雨季がある」、「ドイツには <四月の雨>という言葉があるそうだが、日本にも、秋空の変わりやすさをいう言葉に<女心と秋の空>がある。
<四月の雨>も同じ意味で使うことがあるそうですね」と言うと、これは正しく伝わって、「その通り」との返事が戻ってくるが、後が続かず沈黙。
そのほかに何を話したかは覚えていない。折よくバスが来て、“アウフ・ヴィーダー・ゼーエン!”で、駅に向かう。
往路とは異なる路線で、いかにも学生の街らしく色彩が豊かで、活気のある通りを走る。もう二度と訪ねてくることはないのに、ひとりでは、下車して
歩く気にはなれない。でも折角の機会を勿体ないことをしたなと、これを書きながら後悔している。駅前でアイスクリームを買う。量は多いが2€
駅前の広い敷地には、汽車通学の学生の、おびただしい数の自転車が、雑然と置かれている。掲示板に「駐輪場を整備したい。ついてはアイデアがあったら、この箱に入れるように」とある。美観を損ねないで収容するには地下に設けるしか手立てはないだろうなと思ったが、それから4年が経つ。どのように様変わりしているであろうか。
この季節は、夜9時頃まで明るく、ベルリンに戻るには早すぎる。昔からの木組みの家並みで観光地となっているハン・ミュンデンという近郊の町まで行ってみようと駅の案内所で聞くと、発車時刻と番線を手書きしてくれる。ジャーマンレイルパスで乗れるとのこと。
車内は当然のことながら、ほとんどが学生であるのだが、誰もがハードカバーの本を読んでいるか、ノートパソコンに向かっていて、話し声は聞こえてこない。日本では見かけることの少ない光景である。いまでも、本がiPhone に代わっていることはないのではないか。
乗ること約40分。駅から出ても木組みの家並みらしいものは見当たらない。でも、昔から汽車に乗ることだけが好きな私は、この地に来ただけで満足。次の列車で引き返しゲッチンゲンでICEに乗り換え、ベルリンに戻る。
宿は中央駅の隣駅「フリードリッヒ通り」から歩いて10分、ウンター・デン・リンデン通り近くのNH。ロビーのソフアも薄汚い安宿だが、私には似合いの宿。 メモには「駅の売店で買ったレバー・ケーゼとワインで、遅めの夕食。<学問の街>の文字が、頭を何度もかすめた一日が終わる」とある。
レバーケーゼとは:レバーでもなければ、ケーゼ(チーズ)とも異なり、ミンチした肉(高級店は別として、駅の構内で売っているのは、何の肉か分からない!)に香料を加え厚さ1cm ほどに固めて焼いたもの。塩味がきつい。熱々で食べると美味しいが、体には良くなさそう。