昭和27年(1952年) 6月頃、ドイツのバリトン歌手ゲルハルト ヒュッシュがNHKの招きで来日、各地でシューベルトの「冬の旅」、シューマンの「詩人の恋」などの演奏会が開かれました。前後して黒人ソプラノ歌手マリアン アンダーソン、ピアニストのアルフレッド コルトーなどが来日、少しずつ戦後が遠ざかってゆきはじめた頃です。サンフランシスコ講和条約の発効直後で、3月末までは、上野・札幌間に、当時としては豪華な連合軍専用列車「ヤンキー・リミテッド」が運行されていました。勿論、津軽海峡は列車ごと連絡船に載せていた時代です。当時私は仙台の大学の3年生(旧制度では最高学年)でした。
仙台市公会堂での演奏会を終えて宿舎の青木ホテル(だったと思います)に戻ったヒュッシュを迎えたのは東北大学独文学科の学生達で、セレナーデを歌って歓迎の気持ちを伝えたそうです。その一人が私の下宿にやってきて、明日駅に見送りに行かないかと誘ってくれました。当時、街はアメリカ一色でしたから独文の学生がドイツの香りに熱狂したのも無理からぬことで、駅には独文の教授までが姿を見せていました。
ヒュッシュはひとりひとりと握手をし、“Alles Gute!”(アレス グーテ
ごきげんよう)と繰り返しました。私が生粋のドイツ人が話すドイツ語を聞いたのは、これが初めてでした。
ヒュッシュは日本を離れるに際し、仙台での学生の歓迎について、特に触れた新聞記事を読んだ記憶があります。
- 因みに、ヒュッシュは日本が気にいったのか、その後何度も来日しています。