おはようございます。


団塊親父です。


いつもは4時過ぎにブログをアップするのに、ブログを更新する気力がわきません。


ネットビジネスに壁が立ちはだかり、どうしたら良いか迷路に入ってしまいました。


こういう時、親父のビジネスの師匠から教わった一節「走り続けず、時に休みを入れる。まじめすぎると物が見えなくなる。」を思い出し、

一旦現場から離れる。


親父の気分転換は読書だ。


今、先日紹介したスペイン在住画家堀越千秋の著書「絵に描けないスペイン」を読んでいる。


その中で特に感動した一篇を何回かに分けて紹介していきたい。


タイトルは「ぼろの美」。ここに千秋の芸術観がある。


神泉村の借家のトイレの、タイルの壁の角に、小さな名も知れぬクモが巣を張っている

 ほんの数センチの巣である。クモはいつもじっとしていて、いつ何を働いているのかわからないが、巣の下方に小さな茶色の球が時折増えて、今は三つある。

 それが生活の糧、生きている意味であろうところの何者かであることは、一目でわかる。その貯えが増えてゆくらしいことは、貧の家にとって一抹の慰めである。

 吐けるだけの息を吐いて、なおもっと吐けと背中を押されているような今の私の金欠ライフである。胸中、鯉のぼりの竿灯にカラカラまわる矢車のような音がする。

 息を吐いてその後を吸うことがなければ、死である。先年、墓穴ではないが、山中に穴を掘っていた時、京都の画廊のオーナーから電話があって、私の作った茶碗(らしきもの)が二点売れました、とまるでUFOの襲来のように興奮した口調であった。その買ってくれた「ちょっとむずかしい人」が、先頃現れた。伝手をたどって、私の窯と絵を見たいと、突然埼玉県の山奥へ、はるばる京都からベンツ二台を連ねてやってきたのである。

 二百七十年の伝統を誇る帯問屋の十代目、誉田屋源兵衛さんと名のった。

「一緒に京都へいきまひょ」

 と言われるがままにベンツに同乗した。うつらうつらしていると、着いたところが山梨県の山奥で、そこは舞踏家田中泯さんとお弟子さんたちの住む桃花村というところであった。泯さんの名は昔から知っていたが、初対面である。源兵衛さんは、泯さんの舞踏「赤光」の衣裳を提供したのだという。私を泯さんにぜひ会わせたいと思ったのだそうだ。一目見て、私は泯さんに魅了された。トイレの壁のクモの巣を、うらやみながら眺めている生活は、正しかったのではないか、私が意気揚々と給料生活を送っていたら、こういう人にはめぐり合わなかったのではないか、と思われた。

 泯さん達が作っている無農薬野菜と、日本酒「御日待家」は、日本一の味であった。それをたくさんごちそうになり、もうろうとして再びベンツに乗り、次に目覚めた時、車は京都の五条大通りを走っていた。室町三条という所にある、源兵衛さんの家の二階の、三十畳の室に寝た。行燈のスタンドがあるばかり、しかし枕元には、日本酒とおつまみなどが小さな台上に置かれてあった。すばらしい。案の定、京都は外国、であった。

 寝ている私の布団の周囲を、六、七人の男の子たちが現れて、しきりとでんぐり返しを行うのでよく眠れない、と思っていると目が覚めた。話に聞くと座敷童というのはこれではないか、と思われた。

 床に横たわったままぼーっと中庭の松を眺めていると、ふすまが開いて、源兵衛さんが小学一年生のご長男を連れてずかずかと室へ入ってきた。

「はい。ほりこしさんにごあいさつなさい。」

 ランドセルを背負ったまま、気をつけをしてあいさつをした彼は、くるりと父のほうへ向きなおって叫んだ。


明日に続く。


今日もぽちっとヨロピク

↓  ↓  ↓



ネットビジネス ブログランキングへ

ペタしてね