おはようございます。


団塊親父です。


昨日に引き続き、堀越千秋氏のエッセー「ぼろの美」その二です。


「お父さん、今日ぼくは学校なんや!ぼく学校へ行かなくちゃならないんや!」

 私はげらげら笑った。彼は、こんな薄汚いボーボー髪で横たわるホームレスに付き合わされたらかなわんと思ったのであろう。

 階下に下りると、板の間に三人の年輩の男たちが黙然と正座していた。職人衆である。私は仰天した。

「千秋さん、よかったら帯に絵ぇ描いてください」

 と、源兵衛さんが言った。私は、不思議の国のアリスはよく知らないが、それから四、五日間、たくさんの帯をそこで描いて暮らした。

 ある晩、二階の居間で一杯やっているところ、源兵衛さんが奥から二つの桐の箱を持ち出してきた。

「これは我が家の家宝です」

 丸山応挙の真筆が床にかかっているようなお宅である。すわ、光悦か長次郎かと思って、恐る恐る蓋を取ると、出てきたのは、かつて未知の氏が買ってくれた我が茶碗二つであった。私は落胆し、かつ感激した。これらは、私が、トイレのタイルの隅のクモの巣のように、人知れず作ったものである。私は常々「国宝!国宝!」と自作を吹聴して止まぬであるが、人皆ついにそれを冗談としてのみ取り扱うのである。それがどうだ、ついに京都の老舗の奥深くに、はからずも「家宝」として大切にされていた。

 天佑と火を得て、化物のようになったわが土くれが、本来あるがままの美として確認されていたのである。

「こんな凄いものは、京都の誰にも見せられへんですわ。皆ぶっ飛んで立ち上がれへんようになるわ」

 と言って源兵衛さんは笑うのである。私も同様に笑うのであるが、それは、こういう火と土の作品が、私にも誰にも実は属していないがゆえの気楽さなのである。だから、源兵衛さんが「これらの作品はもう忘れて、また次のええ物を作って下さい」と言われるまでもなく、とっくに忘れているものであった。

 また一夜、彼が見せてくれたものがある。彼が「糞掃衣」(ふんぞうえ)と呼ぶところのぼろ布である。もともとは、釈迦が修行の際に身にまとうていた、あらゆるけがらわしき汚物をも掃除した布であり、またそれにならった僧衣であるが、これは東北の農民が、過去何代にもわたって、つくろいながら布団や敷き布や衣として使用してきた、木綿や麻の布である。

 田中泯さんもこれらの内のひとつを源兵衛さんから借りて舞ったのだという。その美に着目して、すでに欧米人をも含む多くのコレクターがいるという。

 ある有名なコレクターが源兵衛氏宅を訪ね、談笑しながら氏の所蔵品を見ていたのだが、内の一枚を見るや否やぐっと黙ってしまい、トイレにでも立ったのかと思っていたらそのまま帰ってしまった由。その沈黙の一枚を私も見せられたのである。多くの「ぼろ」布が藍染の紺色の色調であるのに比して、その一枚は麻のままの茶色であった。おびただしく何重にも縫い込まれている。破れ目を他の布片でおおい、繕い、また破れれば別の布片をあてがって縫う。が、なおあちこちが破れている。到底一人の人間が作ったようなものでない。ずしりと重い、シーツ状の一枚の布。怪しげなしみも散見されるが、よく洗ってあるのでさらりとしている。しかしその、たくまざる忘れられた美は見るものを圧倒するのである。

 その一枚を眺め、源兵衛さんの熱弁を聞いているうちにわかったことは、私の茶碗も実はこの「ぼろ」の延長上にある、と彼が思っているらしいことであった。それに気づいた私は思わず笑ったが、「ぼろ」こそが彼が信じる美の極みであってみれば、笑いごとではない。何よりも、この麻布の一枚が示す美の深さと大きさを見れば、それは無言の証言なのである。


明日に続く


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