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著者: 前田英樹
出版社: 筑摩書房
価格: 700円
発売日:2009年2月10日
☆☆☆☆☆
ほんとうに大事なことは、何ひとつ教えることが出来ない
二宮金次郎の銅像は、柴を背負って歩きながら、本を読んでいる。
「大学」「論語」「中庸」は面白い。これらを繰り返し読めば、この身ひとつがどう生きていけばいいか、そのことがわかってくる。
だからこそ、彼は、夢中で読んだ本を読んだのである。
なぜ、私たちはかくも「無教養」になったのか。
現代人が失った「独学の精神」をめぐる思索の書である。
目次
第1章 身ひとつで学ぶ
第2章 身ひとつで生きる
第3章 手技に学ぶ
第4章 農を讃える
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パスカルは『パンセ』の中でこう言っている。
私たちの尊厳のすべては、考えるということにある。私たちが立ち上がらなければならないのは、そこからであって、私たちが満たすことの出来ない空間や時間からではない。
だから、よく考えることに努めよう。ここに道徳の原理がある。
人でも国でも、それを荒廃、困窮から真に救うものは、独立自尊の勤労以外にはあり得ない。
鉋を引くコツは、何といっても鉋の重さに従って、それに逆らわずに引くことなのだそうである。腕が、体が、鉋に勝ってしまうようではいけない・・・・
鉋が、自分の重さで、みずから動いているかのように引く。これは何を意味しているか。木の中に鉋が入り込んでいくのに、人間の不安定な意識ほど邪魔なものはない、ということだろう。
考えるとは、鉋をかけることである。相手の文章が木だとすると、鉋は自分の言葉にほかならない。生きた文章という木に、生きた言葉である鉋が入り込んでいかなくてはならない。
間の文章が、見る見る削られて一本に木になり、別に削れ手一本の柱になり、別に削られた柱と組み合うところまでいかなくてはならない。
読むためには、書かなくてはならない。書くからこそ、何とか読むこともできる。
学問の本筋は、繰り返し読むに値するものを、ひたすらよく読むことであって、書くことこそがその手段である。
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■二宮金次郎は、貧窮、貧困の極みにあったとある村を10年かけて完全に再生した。
土地を耕して、二俵の米を得れば、そのうち一俵で暮らし、あとの一俵を開墾資金に充てる。この生活を続ければ、村は立ち直る。
これが彼のの示した簡単極まる具体策だった。
「その土地の再生は、その土地が持っている自然の資力によってなされるほかない」
これが、信念だった。
独学から得たものであろう。
▼人が本を読み、ものを考えるのは、どんなふうでしかないか。
▼職人がその手技を身に付けるやり方が、学ぶことすべてにとってどんなに正しいか。
▼米作りによって生きることが、人の独立のなかでどんなに尊いか。
強い独立は、実のところ、農による自給の生活に正しい根を持つのではないか。
そんな問いかけがたくさんあった。
■教育というシステムが出来て、教えられることに慣れて、能動的に学んでいない。
著者のあとがきのことばにある、
「私は私の鉋を一途に研ぎ、削るべき木を求めていこう」
「もっと自分で学べるはずだ」
そう迫られているような重い一冊である。
独学
学ぶのは、自分が学ぶのである