良い時代になってきたものです。
何がですって?
私のような無職者が目立たなくなってきたからです(^^♪
午前の11時にスーパーの袋を肘に掛けて、気ままに写真を取りながら商店街をほっつき歩いていても、後ろ指さされたりしません。
私が20代前半の頃は、上司に退職の相談でもしようものなら、勤務時間後、居酒屋に連れて行かれ、「一生を棒に振ることになるぞ」とたしなめられたものでした(・・;)
事情が変わったのがバブルです。
転職情報誌が公衆電話(最近あまり見かけませんね)備え付けの電話帳の厚さと同じくらいのボリュームになりました(^.^)
ちょっと気の利く同僚は、好条件で次々と転職して行きました(・・;)
そんな雰囲気の中で私も30になる前になんとかしなければとあせりました(ーー;)
初めての海外生活をはじめるきっかけとなったわけです。
学生時代から目をつけて(およそ十数年後に製造業の中国移転が盛んになり、自分の慧眼振りに自己陶酔したものです)、単位も取っていた中国語を使う仕事に就こうと思っていました。
ただ、行き先を間違えて英語圏の国に行く事になってしまい、その後の流浪生活につながることとなるわけです。
その全部が、駐在員などという良い身分ではなく、現地資本の会社の契約社員、または、日系企業の現地採用契約社員でしたので、契約を更新しなければ(または、されなければ)自動的に就労ビザが切れますので、その度に、とりあえず日本に帰っていました。
当時はバブルがはじけた不況の真っ只中で、職に就いていないものは、人生の落伍者のような扱いに再び戻っており、レンタルビデオ屋の会員になろうとして、うっかり、無職と記入したところ、オーナーから、頭の先からつま先までジロジロと見られ、大いに怪しまれたものでした。
その頃の生活は、海外で一定期間働き、日本にいる時は主に住み込みのアルバイト(三十面を下げて)をしていました。
そうこうしている内に、ひょんなことから海外(イスラム教国)で日系企業の総務系事務職として働くことになりました。
全く経験がありませんし、そろばんもできず、手書きの文字も金釘流の師範のようなものでした。
ところが、世の中はうまくできているもので、その頃になるとパソコンがオフィスの主役のようになっており、文書も表計算も帳簿も全部パソコンソフトでできるようになっていたのです。
当時存命中の母親にその事を話したところ、『そう言えば、小学生のお前に、そろばん塾や書道教室をすすめたら「そんなもの、今にコンピューターでできるようになるはずだから行かない!」と言ってたねえ』とのことでした。
全く記憶にないことで、おそらく塾に行かずに遊び呆けるために思いついた子供の言い訳だったのでしょうが、母親が我が子の慧眼振りにしきりに感心するので、「まあね!」と返事をしておきました(^_^;)
そして、働きながら英文経理や総務のノウハウを身に就けてその会社を辞め、また、日本に舞い戻ってきてとある会社の幹部となるのです。
長々と書いてしまいましたが、つまり「塞翁が馬」を実践する人生を図らずとも歩んできたということを言いたいわけでして(^_^;)
そうした体験からすると、長い人生の一時期を無為に過ごす事も大いによろしいのではないかと(^^♪
海外でも親兄弟親類縁者隣人にたかりながらも、あまり邪険にもされず楽しく暮らしてる人を少なからず見ましたので(^_^)/~