saturationと良く似た単語ですが関連性は知りません。
時々間違えて使いますが理解してもらえます。
saturationは日本でエンジニアが「サチる」といった使い方をします。
数値計測をしていて、グラフの伸びが水平に近くなった時などに良く言います。
Satiationの方は、英字紙などで「飽食の時代」などの場合に使われています。
今回のタイトルは船戸与一さんの小説のような響きです。
しかし、内容は相当軟弱なものです(^_^;)
大正生まれの父は、ある意味DIYマニアで、屋根のペンキ塗り、小物家具製作、簡単な水道工事、物置小屋建築、犬小屋製作、庭木の剪定、ブランコ作り、石垣積など何でも器用にこなしていました。
そのひとつが家庭菜園で、24時間の泊り込み勤務明けに、数時間の仮眠をとった後、近所に借りた畑で黙々と作業をしていました。
ある年、子供思いの父は、私達子供のためにトウモロコシとスイカを植えて育ててくれました。
しかし、若干気合を入れすぎたのでしょう。
両方とも予想外の大豊作になってしまいました(^^♪
特に、スイカは子供達が喜ぶだろうと、わざわざ赤色のものと黄色のものを作ってくれたのですが、隣合わせだったため、境界線付近は赤黄混合色のものが出来上がりました。
といってもオレンジ色というわけではなく、赤地に不気味な黄色の渦巻き模様でした(・・;)
初めのうちこそ喜んで食べていた私達でしたが、やがて見るのもいやという感じになりました(ーー;)
隣近所に押し付けたり、中身を食べずにスイカの提灯を作って遊んだりするようになりました。
兄弟の中でも、特に私はその後遺症が長く残り、その後十年ほどはスイカとトウモロコシを食べらませんでした。
一度飽食すると食べ物の嗜好が変わってしまうというお話です(^_^;)
以前書いた漁師のオッサンもマグロについて同じようなことを言っていました。
やや得意げで、鼻の穴が見えるくらいのけぞっていたので、誇張が入っていたのかも知れません(^.^)
でもこちらの方は、しばらくマグロが食べられなくなっても構わないので死ぬ前に一度飽食してみたいです(^^♪