今週の月火曜日は休みだったので、秩父曼荼羅小屋の峯龍先生が述べていた修験古道で、再度一人修行を行うことにしました。今回のルートは三峰神社からのスタートてす。「ちょっと待って、この間も三峰山で修行したんじゃない?」と思っている方もいるかもしれません。その通りです!このコースの最初の部分は夏の一人修行の5日目 のコースと全く同じです。前回のブログで述べた通り、「三峰山」というのは一つの山じゃなくて、妙法ヶ岳、白岩山、雲取山の三つの山から成り立ちます。2017メートルの高さの雲取山は、東京の最高峰の山で、日本百名山の一つです。雲取山を東京都の奥多摩、埼玉県の秩父、または山梨県の三条の湯から登るのは可能ですが、どこからスタートしても、一泊二日の山登りとなります。本来の修験古道はその三つの峯を通って、日原鍾乳洞という大事な行場であった洞窟まで下りました。現在の下り道の中に、どれが修験古道を通るかわかりませんし、以前の台風の被害で一つ以外の日原方面の道は行き止まりになっています。なので、富田新道という残りの一つの道で下ることにしました。

当日はとてもいい天気で、ラッキーでした。


前回同様、三峰神社へ登る前に、神庭鍾乳洞で挨拶をし、光明真言を唱えました。


遥拝殿からの景色は魅力的です。ここでまた六根清浄大祓詞を唱えました。あまり観光客がいなかったので、唱えた前後に法螺貝も吹きました。


妙法ヶ岳の奥宮裏にある景色を初めて見ました。真ん中のギザギザの山は前回登拝した両神山です。


途中で、色々な友達に出会いました。落ち着いたカエルちゃん、ふわふわのコケ、そして世界中で一番危ないキノコの一つであるタマゴテングタケ(Amanita phalloides) と世界中で一番おいしいと言われるキノコの一つマスタケ(Laetiporus sulphureus)などなど。


妙法ヶ岳から白岩山の道は、かなり急で激しい箇所があります。山頂に近づくと、石灰岩の「白い岩」がたくさん見えます。


妙法ヶ岳から、山岳信仰の痕跡は全然残っていないのは意外でした。武甲山と両神山など信仰の山に、普通は石仏や小さい神社が残っています。昔は白岩さんや雲取山に置いていたのかもしれませんが、現在では全く残っておらず、白岩山山頂には、看板とベンチ二つしかありませんでした。それでも一応お経を上げました。


足が疲れていましたが、白岩山の後半の道のりは前より少し楽でした。この森はとてもきれいで、シカたちが道の横で草を食べてる様子も見ることができました。


そして、雲取山荘に辿り着きました。キャンプ場の料金500円を支払いテントを設置しました。東京の名山として、雲取山荘は満室になる場合もあるみたいですが、月曜日に行ったので、テントは三台しかありませんでした。テントに荷物を置いて、山頂まで最後の登りを始めました。山荘の少し上、妙法ヶ岳からの唯一の小さい神社で参拝しました。


「雲取」という山なので、山頂につくと雲で真っ白になっているのは当たり前だと感じました。法螺貝を吹いて、本日最後のお経を唱えました。吹いていた間、森から角が大きいオスの鹿に見られていたことに気付きました。それから、キャンプ場まで下って、夜ご飯を食べて、すぐに寝落ちました。知らない人がいるだけで、前回の森キャンプとは全く異なり、全然怖く感じませんでした。久しぶりに深く寝れました。夜中、トイレへ行くためにテントから出ると、すぐ近くに何匹の鹿がいました。午後に真っ白になっていた雲がなくなっていたから、上に星も見えました。東を見ると、紫の夜空の下に、雲海から立ち上がっている黒い山も見えました。


朝、テントを片付けてから、山頂へ戻って瞑想を行い、お経をまた唱えました。最後に、僕の下にある山の感覚に集中して、不動明王のご真言を108回唱えてみました。修験や密教では、不動様の一つの側面は大地の神仏であります。我々のしっかりとした基盤は不動様のことです。今朝も曇りでしたが、たまに灰色の雲の間に黒い富士山が見えてきました。


朝ごはんを食べてから、富田新道で下りました。道の看板に「道迷いご注意!」と書かれていました。すぐ、人間の影響を感じれない森に囲まれていました。おそらく、日本で歩いた道の中で、富田新道が一番好きです。心がさまよったら、六根清浄に注意をするために、洞川で習った「掛け念仏」 を大きな声で歌いました。一人修行の時に感じた日常の僕から離れていることをまた感じました。そのために、この修行でも行いました。


夏の一人修行から帰ってくると、何週間も怠け者になってしまいました。携帯を触りすぎたり、ジャンキーに食べたり、山で感じた安定から離れていることを感じました。山で、僕自身の感覚が柔らかくなりましたが、帰ったらどうやって新しい自分を維持するか全く考えていませんでした。なので、快適な習慣に戻ってしまいました。二週間経ったところで少し規律を戻し、運動と魔術の実践を再度始めました。ルーティンを戻すと、修行の影響になる自分の中の微妙な変化に気づくことができました。規律正しく行う実践で、その影響が出始めます。ゴロゴロしすぎると、落ちる可能性があるかもしれません。

雲取山から下るとき、そのことをたくさん考えながら下りました。山から下った後に、身体や心を大事にせず、健康じゃない生活を改善するために、山に入るサイクルには、陥らないようにするべきと考えています。山で感じる自由な感覚は、修行中にのみ感じるのではなく、日常生活においても感じ、成長したいと思っています。これから僕自身が経験を積んで、山のバランスと安定を俗世界に運ぶことができる器になれることを願っています。

二つのキーワードがあります。それは「規律」と「反復」。修行の後、健康じゃない習慣にすぐ戻る代わりに、たくさん寝て、携帯を避け、瞑想を行い、修行中で身に付けたことをしっかり考え、ヨガをしたりヘルシーなものを取るようにすると、日常生活でも修行と大差なく過ごすことができると感じます。「やっと、修行が終わった!」ことを思う代わりに、「よく戻ってきたね。これからどんな人になる?」という風に考えたいと思います。

また、一回ミスをしないとその過程を気づきません。何回も山で修行を行うと、前習ったことを再利用でき、前した失敗を避けることができます。より深い大自然との関係を作れて、自分のことをより深く理解できるでしょう。そして、山に入ると人間社会から少し離れ、神仏に近づいているという感覚も慣れてくるかもしれません。そうなれば、日常生活を行っているときでも、山の自由とバランスを運べると思います。山で修行を行うことは、特別なことや珍しいことではなくて、定期的に行いたいと思っています。


そう思いながら、遠くから轟音が聞こえてきました。最初は風だと思いましたが、もっと下ると日原川の賑やかな音だとわかりました。川を渡ると、山道は日原鍾乳洞まで下る道路になります。


日原鍾乳洞はとても幻想的な場所です。昔は、「一石大権現」と呼ばれていた修験行場でしたが、現在はディズニーのアトラクションみたいにライトアップされていて人気な観光地になってしまっています。ですが、洞窟に掛けている看板を見ると、昔の行者はどんな修行を行っていたか少し理解することができました。看板には鍾乳洞は来世のマップになっていると記されていました。「死出の山」の上の「縁結び観音」の前に、今回の入峰修行の最後のお経とご真言を上げました。とても特別な経験になりました。そんなに人はいなかったですが、何組かデート中の若者に怖く見られた気がしました(笑) 確かに真っ暗な洞窟に行者の格好をして瞑想している外国人は怖いですもんね!


洞窟から出ると、安定を深く感じました。日曜日の夜に、あまりに疲れて、少し落ち込んでしまったので、今回の修行をキャンセルしようかと思っていましたが、本当に来てよかったと感じています。これから、仕事へ戻っても、山での修行の気持ちを忘れないように頑張りたいと思います。