さて、曇鸞和尚の続き。
ここから物語が一気に「歴史ドラマ+神秘ワールド」に突入します。
●ついに爵位がつく――その名も「神鸞」。
魏の天子はとうとみて
神鸞とこそ号せしか
おわせしところのその名をば
鸞公厳とぞなづけたる
魏の皇帝は曇鸞をめちゃくちゃ気に入った。ええ、ほんまに気に入った。
どれくらいかと言うと……
「お前はもう“神鸞”や!」
とまで言う。
いや、ニックネームのスケールが大きすぎる。「神ラン」言うたら、もはや“歩くパワースポット”。
そして和尚が住んだ場所にも “鸞公厳(らんこうごん)” の名前。
これはもう、いわば
天子「あなたの名前で地名つくっといたで」
曇鸞「え、マジですか…」
という状態。歴史上、僧侶がここまで愛されるのは珍しい。
●寺院めぐりの末、遥山寺へ移動
浄業さかりにすすめつつ
玄忠寺にぞおわしける
魏の興和四年に
遥山寺にこそうつりしか
曇鸞和尚は浄業を盛んにすすめながら、
玄忠寺 → 遙山寺 と移動していく。
この移動がまた、面白い。
玄忠寺でワッと人気が出る
↓
信者も「師匠〜どこ行くんですかぁ」
↓
曇鸞「ちょっと山の方で静かに念仏したいねん」
こういう図。
有名人が“隠れ家”にこっそり引っ越すようなものですね。
●往生のとき、まさかの“霊瑞ドラマ”
六十有七ときいたり
浄土の往生とげたまう
そのとき霊瑞不思議にて
一切道俗帰敬しき
「六十七歳で往生。霊瑞不思議にて、一切帰敬」
はい出ました、伝説モード。
往生の瞬間に、
・光が差した
・香りが漂った
・瑞相が現れた
などの“不思議体験”が記録されるわけです。
「和尚が亡くならはったら、その場に“特別演出”が入ったんですわ」
まさに“神ラン”の名にふさわしい。
●皇帝、即座に廟を建てる
君子ひとえにおもくして
勅宣くだしてたちまちに
汾州汾西秦陵の
勝地に霊廟たてたまう
和尚の死後、皇帝が何をしたか。
「よし、廟建てよう」
動きが早すぎる。
汾州(ふんしゅう)の勝地に、立派な霊廟が建てられる。いわば“曇鸞メモリアルパーク”の誕生である。
これはもうタレント僧の域を超えて、
国家的偉人扱い。
●天親菩薩の教えを伝えた立役者
天親菩薩のみことをも
鸞師ときのべたまわずは
他力広大威徳の
心行いかでかさとらまし
和讃はこう言う。
「天親菩薩のみことをも、鸞師ときのべずは他力の心行、いかでか悟らまし」
つまり、曇鸞和尚がいなければ、天親の“本願の核心”は僕らに届いてないということ。
曇鸞は“天親菩薩の翻訳者”であり、
“他力の思想を現代に渡す郵便屋さん”でもあったわけです。
●煩悩と菩提はもともと一つの体
本願円頓一乗は
逆悪摂すと信知して
煩悩菩提体無二と
すみやかにとくさとらしむ
最後の和讃がしびれる。
「煩悩菩提 体無二」
これは
・煩悩(迷い)
・菩提(さとり)
が根っこのレベルでは“二つに分かれていない”という深い真理。
でもこれ、誤解すると危険やけど——
親鸞も曇鸞もこう言っている。
「煩悩まみれの凡夫やからこそ、本願に救われる」
つまりこういうこと。
「あんた、煩悩あるって?そら助かる資格バッチリやな!」
という逆転の発想。
この一言で、
“救われる側の立ち位置”がひっくり返る。
■法話
●煩悩まみれこそ、本願の“お客さま”
曇鸞は「悪を肯定」したんやなくて、“煩悩まみれだからこそ、おまかせするしかない”と知らされるのが信心や
と教えた。
●曇鸞は「他力のドアノブ」を作った僧
・天親の教え
・龍樹の教え
・法然へつながる流れ
その“鍵”の部分に曇鸞がいる。
もし曇鸞がいなければ、本願念仏はもっと“難しい哲学宗教”のままだった。
彼がいたから、
凡夫にも“触れる場所”ができた。