いやぁ〜人間ってのは面白いもんで。

若い頃に好きだった人というのは、どういうわけか、いつまでも若いまま、こちらの頭の中に住んでおります。

ある五十代の男がおりましてね。

昔からロックが好きで、車の中では今でも、二十代の頃に買ったCDをかける。

歌が始まると、腹は少し出ていても、気持ちだけは革ジャンを着ております。

信号待ちでは、ハンドルを指で叩きながら、高い声のところだけ、妙に小さく歌う。

喉がもう追いつきませんからな。

そんな男が、久しぶりに好きだった歌手の姿を見た。

祭りの法被を着て、手にはビール。

顔は少しふっくらして、昔の鋭さより、近所の気のいいおじさんのような笑顔になっている。

男は最初、「えっ、誰や」と思ったそうです。

名前を見て、もう一度写真を見る。

拡大する。

老眼なので、さらに拡大する。

そして、「ほんまや」とつぶやく。

人間というものは、自分の老化には、案外ゆっくり気づくのですが、他人の老化には、ずいぶん敏感です。

自分の腹は、服が縮んだことにする。

自分の髪は、照明のせいで薄く見えることにする。

けれど、有名人の写真を見ると、

「変わったなあ」

と素早く判定する。

いや、こちらも同じだけ変わっております。

むしろ、写真を見ながらポテトチップスを食べている分、こちらの方が一歩先を行っているかもしれません。

若い頃、その人は格好よかった。

細くて、華があって、遠い存在だった。

だから私たちは、その姿のままでいてほしいと願う。

自分の青春まで、その人に預けているからでしょう。

歌手が歳を取ると、自分の若さまで終わってしまうようで、少し寂しい。

昔の面影が薄くなると、あの頃の自分まで、どこかへ行ってしまったように感じる。

けれど、祭りの中で笑っている姿を見ていると、別のことにも気づきます。

人は、格好よくあり続けるためだけに、生きているのではないのでしょう。

若い頃には、若い頃の輝きがある。

歳を重ねれば、歳を重ねた者にしか出せない、少し緩んだ顔がある。

尖っていた人が、丸くなる。

遠いスターだった人が、法被を着て、ビールを持って、町の人と笑っている。

それを劣化と見るか、ほどけたと見るかで、ずいぶん違います。

私たちは、他人には、いつまでも若く、美しく、格好よくいてほしいと言いながら、

自分には、ありのままを認めてほしいと思っております。

なかなか都合のよい話ですな。

若さは褒める。

老いは驚く。

太れば騒ぐ。

痩せれば心配する。

人の身体というものを、ずいぶん忙しく採点しております。

いや、わしも同じなんですがね。

けれど、本当にその人を好きだったなら、変わらない姿だけを愛するのではなく、変わっていく姿も見ていたいものです。

声も変わる。

顔も変わる。

体つきも変わる。

それでも、その人が笑っている。

誰かと祭りを楽しんでいる。

そのことの方が、案外、大事なのかもしれません。

人は、若さを保ったから尊いのではありません。

老いながら、崩れながら、それでも誰かと笑えるから、少し愛おしいのでしょう。

鏡を見れば、こちらも昔のままではありません。

それでもまあ、今日も好きな歌を口ずさみ、

少し息を切らしながら生きている。

人間ってのは、そういうもんですな。

南無阿弥陀仏。