いやぁ〜人間ってのは面白いもんで。

子どもの予定表を見るとね、
大人より忙しい子がおるんです。

月曜は学童。
火曜は英語。
水曜は塾。
木曜は自習室。
金曜もまた塾。

帰ってくるのは夜の10時。

いやいや、売れっ子芸能人かいな、と(笑)


でもね、これを見て親は思うんです。

「ちゃんと居場所がある」
「ちゃんと学ばせている」
「ちゃんと面倒を見てもらっている」

たしかに、そうなんです。

お腹は空いていない。
服もある。
学ぶ場所もある。
安全な場所もある。

だから一見、問題は見えにくい。

でも、子どもの心の中では、
ぽつんと穴が空いていることがある。

「今日、何してたん?」
「楽しかった?」
「ほんとは疲れてない?」

そう聞いてくれる人が、いない。

ここなんです。

外に居場所はある。
でも、自分を見てくれる場所がない。

この違いは大きいんです。


ある子がね、夜遅く帰ってきて、
カバンを置いて、スマホを見ながら笑っている。

親はそれを見て、
「ああ、機嫌よさそうだな」と思う。

でも本当は、
話す元気がないだけかもしれない。
寂しさをごまかしてるだけかもしれない。
何か言いたいけど、言うタイミングを失っているだけかもしれない。

いやぁ、人間ってのは面白いもんで。

子どもが黙っていると、
大人は「大丈夫なんだ」と思いたくなるんです。

その方が安心だから。

「忙しいだけ」
「楽しそうにしてる」
「今の子はこんなもん」

そう言っているうちに、
見なくていいものにしてしまう。


でもね、これ、親を責める話だけでもないんです。

親も忙しい。
働かなきゃいけない。
家のこともある。
将来の不安もある。

子どものためにと思って、
塾に行かせる。
習い事を入れる。
安全な場所に預ける。

それ自体は、愛情です。

ただ、その愛情がいつの間にか、

「この時間、誰かに見てもらえているから大丈夫」

に変わってしまうことがある。

ここが怖いんです。


子どもが本当に欲しいのは、
立派な予定表じゃないのかもしれない。

「あなたのこと、見てるよ」

という感覚なんでしょうね。

成績でもなく、習い事の成果でもなく、
今日の顔色。
今日の声。
今日の沈黙。

そこに気づいてもらえること。

それが、子どもには居場所になる。


でもこれ、大人も同じなんです。

忙しくしていれば、寂しさは隠せる。

予定を詰めれば、

孤独は見えにくくなる。

でも、ふと一人になったとき、
「あれ、自分は誰に見てもらっているんだろう」
と思うことがある。

子どもだけの話じゃないんです。


私たちもまた、
誰かを見ているつもりで、
ちゃんと見ていないことがある。

人間ってのは、そういうもんですな。

子どもに必要なのは、
完璧な親じゃない。

毎日長時間向き合える親でもない。

ただ、ほんの少しでも、
「あなたを見ているよ」と伝わる時間。

弱さごと、疲れごと、
そこにいていいと思えるまなざし。


忙しい日々の中で、
その小さなまなざしだけは、
外注できないものなのかもしれません。